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羽生城(茨城県行方市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_3287.JPG←主郭の土橋
 羽生城は、現地解説板では羽生館と称され、鹿島神宮大禰宜の中臣氏の一族の城である。南郡橘郷の支配と所領経営のために鎌倉末期頃に築かれたと言われている。橘郷は1174年に常陸国衙より鹿島神宮に寄進され、大禰宜中臣則親の勢力下に置かれた。以後、則親の子孫が代々所領を相伝し、羽生村に館を構えて本拠とし、羽生氏を称した。霞ヶ浦の水運にも影響力を持ち、羽生舟津も知行したと言う。

 羽生城は、霞ヶ浦沿いの比高10m程の台地上に築かれている。万福寺の境内も城域で、「要害」の地名があるらしい。万福寺以外の城内は未整備の藪に覆われており、遺構の見て回るのに苦労する。主郭は北西端にあり、堀切で分断され、背後のニノ郭とは土橋で連結されている。二ノ郭・三ノ郭は藪でどこまで広がっているのかわかりにくい。三ノ郭の北には横堀があって、その北は出曲輪となっている。また三ノ郭と万福寺境内の間には、谷戸の様に低くなった畑があり、往時の地形を残している様である。
 この城は、城郭遺構よりも万福寺の方が素晴らしく、仁王門や阿弥陀堂など、古風で趣がある。平清盛の長男、平重盛に縁のある寺らしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.144711/140.383644/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世崖端城
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