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塚原城(茨城県鹿嶋市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_3886.JPG←二ノ郭から見た主郭の虎口
 塚原城は、大掾氏の一族、鹿島氏の庶流塚原氏の居城である。かの名高い剣聖・塚原卜伝はこの塚原氏の当主で、一時期塚原城主であった。鹿島氏15代義幹の子安幹がこの地に入部して塚原氏を称し、塚原城を築いたと言う。この安幹が養子として迎えたのが卜伝で高幹を名乗った。1591年の佐竹氏による鹿島城攻撃の際には塚原一族も鹿島城に立て籠もって戦い、塚原義安は自刃し、塚原義隆は討死した(系譜には不明点が多い)。
 一方、塚原卜伝は、鹿島神社神職の卜部家吉川左京覚賢の次男で、塚原土佐守安幹の養子に迎えられ、塚原新右衛門高幹と名乗った。1532年に家督を継いで塚原城主となったが、妻の妙と若くして死別し、養子に家督を譲って自身は3度目の修行の旅に出たと言う。

 塚原城は、北浦東岸の比高30m程の段丘突出部に築かれている。字が消えかかった案内標識が県道18号線に出ており、そこから細道を北東に登って行き、台地上で西に道を進むと一面の畑が広がっており、脇に城址看板が立っている。しかしその先が非常にわかりにくい。畑の奥にある山道を行ったり来たりして、ようやく探し当てることができた。塚原城は、西に張り出した台地の北端の基部を掘り切って、北側に3段の曲輪を築いている。最上段の主郭は最も広く、東辺にのみ低土塁を築き、ここに虎口を築いている。背後を堀切で防御しているが、浅い堀切で大した防御性は感じられない。主郭の東には土塁で囲まれた半円形の二ノ郭がある。二ノ郭は主郭と段差だけで区切られ、その高低差は1.5m程にしか過ぎない。二ノ郭の下方に腰曲輪が廻らされており、竪堀らしいものが数本見られる。素朴な構造の、簡素な城砦である。
 尚、腰曲輪のはるか下には民家があり、竪堀を覗いていたら民家の小父さんに「何やってんだ?」と大声で訊かれてしまった。城跡を見てると答えたら納得してもらえたが、この城に行くときは注意しましょう。
主郭背後の堀切→IMG_3852.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.992226/140.603585/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


塚原卜伝 古今無双の剣豪 (日経文芸文庫)

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  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2014/05/09
  • メディア: 文庫


タグ:中世山城
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