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姫路城外郭 その2(兵庫県姫路市) [古城めぐり(兵庫)]

 今年の夏、2年前に平成の大修理が完了した姫路城を再訪した。前回2006年に訪城した時には、時間の制約等もあって主要部分(要するに一般観光客の見学ルート)しか見て回ることができなかった。今回は、城内の可能な限りの範囲を見て回るとともに、これまでほとんど見て回ることができていなかった外郭の内、遺構が良く残っている中濠を見て回った(内京口門だけは以前に見に行っていた)。姫路ではありがたいことに、ホテルで自転車を無料貸出してくれる所があるので、広域の外郭を巡るのに非常に助かった。

<総社門>
IMG_5777.JPG←雑草に覆われた石垣
 総社門は、総社の西門筋にあった枡形門であった。現在は門跡を県道518号線が貫通しており、ごく一部の石垣を残すほかは壊滅的で、残存状況は悪い。市民会館西側に雑草で覆われている直方体があるが、実は総社門の残存石垣の一つで、冬場ならば石垣面が現れるだろう。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.832695/134.694893/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<中ノ門>
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 中ノ門は、中曲輪正面5門の中央にあった枡形門であった。中央にあった門だけあって、他の門より格式が高かったらしく、内側の櫓門には単層の櫓が付随していた。又、外に出番所、枡形内に大番所があったと言う。ここも枡形は跡形もなく、残存状況は極めて悪い。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.833558/134.690323/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<鵰門>
IMG_5807.JPG←鵰門の枡形内部
 鵰(くまたか)門は、中ノ門の西側にあった枡形門で、外門と内門は直交配置ではなく、並行した食違い配置であった。車道が通っているものの、奇跡的に枡形石垣が往時の形状を残している。でもここを通る車も自転車も、走りづらそうである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.833981/134.688456/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<埋門>
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 埋門は、中曲輪の西南隅櫓の傍らに設けられた枡形門である。鵰門と同様に、外門と内門は直交配置ではなく、並行した食違い配置であった。他の中濠南面の城門と異なり、ここだけ小型の出枡形形式である。尚、門の西側には二層の隅櫓が付随していた。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.834492/134.685903/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<車門>
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 車門は、船場川沿いに設けられた二重枡形のやや複雑な形状の門である。西に向いた外門は、普通の高麗門と車道門の2つがあり、高麗門と車道門との間に内側を仕切る石垣と中間門が設けられて、二重の枡形を構成していた。ちなみに車道門という名は初めて聞くもので、どのような役割の門だったのか、よくわからない。現地解説板の図では船場川(外濠)に面した船着場の様な門だが、船からの荷物を積んだ荷車を通した門だったということだろうか。車門は石垣がよく残存し、堀も残っているので、往時の雰囲気はよく感じられる。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.835690/134.685988/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<市ノ橋門>
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 市ノ橋門は、中曲輪西側にあった門で、船場川(外濠)の外に直接通じていた。特殊な形の枡形門で、現地解説板の図によれば塁線から斜めに張り出した台形状の外枡形と、内側に引っ込んで作られた櫓門による内枡形を組み合わせた、ハイブリッド形式の様な枡形であったらしい。現在は広い車道が通っていて、北側の石垣が一部残るだけである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.837838/134.688306/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<清水門>
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 清水門は、船場川沿いに設けられた中曲輪西北方の枡形門で、枡形内に「鷺の清水」という井戸があったことからこの名が付いた。出枡形の城門であったが、現在出枡形は失われ、内側の櫓門部分の石垣が残存しているだけである。ここからはそびえ立つ天守がよく見える。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.841132/134.692190/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<南勢隠門>
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 南勢隠門は、内濠・中濠の間に築かれた西側帯曲輪の中間に築かれた食違いの城門である。石垣がよく残っているが、残念ながら標柱も解説板もない。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.839124/134.690366/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<野里門>
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 野里門は、北東に設けられた城門で、野里の出入口にあたることからこの名が付いた。濠が鍵型に屈曲した部分に設けられた内枡形の城門であったが、遺構はほぼ壊滅状態である。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.842188/134.698520/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

<久長門>
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 久長門は、中曲輪の東側にあった内枡形の城門で、外門と内門は直交配置ではなく、並行した食違い配置であった。石垣はかなり失われているものの、何とか枡形らしい雰囲気は残している。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.837451/134.699335/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

 以上、姫路城の中濠沿いの外郭城門を巡ってみた。鵰門や埋門は街中に枡形が残っており、通学する学生が自転車で枡形や南勢隠門の食違いを普通に通り過ぎている。城門遺構がすっかり生活に溶け込んでる感じがして、すごいなと思った次第。
タグ:近世平山城
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