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兵庫城(兵庫県神戸市) [古城めぐり(兵庫)]

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 兵庫城は、戦国末期に池田恒興が築いた城である。恒興は織田信長の乳兄弟で、その関係から信長より特に親しく遇せられた。恒興は1580年、信長に謀反を起こした荒木村重の籠る花隈城を攻め落とし、その功によって兵庫の地を拝領した。これに伴い、兵庫はそれまでの室町幕府の権力や東大寺・興福寺等の寺社勢力との関係から脱し、信長の支配下に入った。これを機に1581年、恒興は花隈城を廃し、その遺材も加えて新たに天守を備えた兵庫城を築いた。信長横死後の1583年、恒興は美濃大垣城へ移封となり、兵庫城は羽柴秀吉の直轄地となった。1617年、尼崎藩領となると兵庫陣屋と呼ばれ、奉行が置かれた。その後、1769年に幕府の直轄領となり、大坂奉行所に属して与力や同心の勤番所が設けられ、大坂谷町代官支配となった。1868年(明治元年)、明治政府はここに兵庫鎮台を置き、間もなく裁判所、県庁と変遷した。

 兵庫城は、海陸の物資の集散地であり、湊川の支流と分水路が天然の堀を成す交通の要衝に築かれた。現在の切戸町・中之島の付近で、東西・南北各々約140mの規模で、周囲には幅3.6mの堀が廻らされていたと言う。しかし明治初期に市街化のため土塁は削られ、開削された兵庫新川運河が城の中心部を貫通し、遺構は大きく破壊された。従って現在は見るべき遺構はなく、運河西側の遊歩道に石碑と解説板が立っているだけである。今となっては幻の城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.665273/135.172563/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:近世平城
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