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山家楯(宮城県蔵王町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1322.JPG←堀切とされる主郭背後の段差
 山家楯(山家館)は、歴史不詳の城である。地元では山家(やんべ)氏の祖先の城と伝承されている様だが、山家氏の事績についても不明である。出羽最上氏好きの私など、山家氏といえば伊達政宗の母保春院(義姫)が伊達輝宗の元に輿入れした時に付き従い、最上氏から伊達氏家臣となった山家公頼の山家氏を想起するが、同族であろうか?

 山家楯(山家館)は、標高175m、比高115m程の山上に築かれている。近くで畑仕事をしていたお婆さんに話を聞いたが、「舘山」の名が残るだけあって城があったということは認知されているが、現在では登る人もいないらしい。登山道も無いらしいので、北側の取り付きやすそうな斜面から直登した。城址は藪でほとんど埋もれており、遺構もわかりにくい。『日本城郭大系』の縄張図によれば、山上の尾根に東西2つの曲輪を並べ、東郭の東や南の尾根に腰曲輪が数段置かれている様である。実際登ってみると、北側に一段低く腰曲輪を廻らした東郭が築かれている。西郭より高い位置にあるので、これが主郭であろう。その背後の堀切は、ほとんど切岸のみで、堀というほど穿たれていない様に見えた。その西には西郭(二ノ郭)があり、その背後も堀切で分断されているとされるが、実際にはやはり切岸程度の区画で、堀の形状はあまり明瞭ではない。また各々の堀切沿いに土塁が築かれているとされるが、はっきりそれとわかるのは二ノ郭背後のものだけで、それでも低い土塁にすぎない。結局のところ、小規模で普請もささやかな城砦で、室町前期以前の古い城砦であったと思われる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.061388/140.647187/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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