SSブログ

柴崎城(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2018.JPG←二ノ郭前面の堀切
 柴崎城は、歴史不詳の城である。一説には、文治年間(1185~89年)に葛西清重の一族葛西重成が築城したとも言われるが、定かではない。

 柴崎城は、比高15m程の独立丘陵上に築かれている。北から順に三ノ郭・ニノ郭・主郭と並んだ連郭式の縄張りで、各々堀切で分断している。主郭~二ノ郭間のものは幅は広いが鋭さのない堀切であるが、ニノ郭~三ノ郭間のものはしっかりした薬研堀で、わずかに横矢も掛けられている。三ノ郭前端にも小堀切があり、その先に物見台状の小郭がある。この小堀切の三ノ郭側に、板碑が数基建っている。三ノ郭の北西には水堀の一部も残っている。主郭北西辺には低土塁が見られ、外側には藪でわかりにくいが横堀が築かれて斜面を防御している。また主要な曲輪の東側はなだらかな地形のため、腰曲輪が数段築かれているが、畑などに変貌しているものも多く、遺構なのかどうか判断しにくい。柴崎城は、全体に薮が多く、踏査は少々大変である。二ノ郭・三ノ郭は、一時期公園化されていたため東屋が残っているが、現在は藪に埋没している。基本的には単純な縄張りであるが、遺構からすれば室町・戦国期の土豪のものと推測される。薮が多いせいもあって遺構的にはあまりパッとしない。西麓に城址立看板が立っているのが救いである。
三ノ郭北西の水堀→IMG_2008.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.650696/141.193607/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー