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八束城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9011.JPG←長く落ちる二ノ郭堀切の竪堀
 八束城は、歴史不詳の城である。上野三碑の一、多胡碑に関係する羊太夫が住んでいたという伝説もあるが、現在残る遺構からは戦国期の城と推測されている。

 八束城は、標高453m、比高270m程の城山山頂に築かれている。まともに登ると稜線も長く大変なので、城巡りの先達、余湖さん推奨の南中腹の林道から東尾根にアクセスするルートでアタックした。そこからでも山頂までは150m程の比高差がある上、東尾根は砂礫で滑りやすい細尾根で少々危険である。東尾根から途中で派生する北尾根に2本の小堀切と小郭が見られる。この尾根の分岐から城の方に登るとやはり小堀切があり、ここの南斜面に落ちる竪堀が、中間土塁がコブ状に盛り上がった二重竪堀となっている。東尾根を登り切ると山頂の曲輪群に至る。主郭を中心に、東西に伸びる尾根上に曲輪を連ねた連郭式の縄張りで、主郭東のものを東1郭・東2郭・東3郭と仮に呼称すると、東尾根を登り切って到達するのが東3郭で、中間に土塁状の土盛りが見られる。東3郭と段差で仕切られた上に東2郭があり、背後に土塁と片堀切を穿っている。堀切の南側には土橋が架かり、東3郭に通じている。東3郭の後ろには主郭背後の堀切が穿たれている。この堀切は、一部に石積み跡が見られ、堀切から落ちる竪堀は主郭の北と南に築かれた腰曲輪と接続している。主郭は前後に堀切を穿った平場で、土塁は見られない。堀切を挟んで西にニノ郭があり、北側には広い緩斜面の腰曲輪が広がっている。この腰曲輪から見ると、二ノ郭は切岸で囲まれた独立丘の様に見える。二ノ郭の西側には堀切を挟んで、広い三ノ郭が広がっている。この堀切からは北に竪堀が長く伸びている。三ノ郭の先端には段曲輪があって城域が終わっている。この他、前述の通り主郭の北と南には腰曲輪が築かれているが、特に北のものは広く、北尾根からの登り口には土塁を伴った食違い虎口が築かれ、その下方には小郭も置かれている。
 八束城は、堀切は小~中規模で、技巧性もあまり見られないが、普請はしっかりしており、二重竪堀など武田氏系城郭に見られる特徴が垣間見られることは注意してよい。
食違い虎口と主郭の北腰曲輪→IMG_9021.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.219998/138.970463/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:中世山城
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