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天引城(群馬県甘楽町) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9196.JPG←北東尾根の横堀
 天引城は、関東管領山内上杉氏に属した甘尾若狭守の居城と伝えられている。山内上杉氏が没落し、西上州が武田氏の勢力下に入ると甘尾氏も武田氏に服属した。その後の甘尾氏の事績は不明であるが、多くの上州諸豪と同じく武田氏滅亡後は滝川一益に、滝川氏没落後は小田原北条氏に従ったのだろう。尚、この城にも八束城と同じく羊太夫(小幡宗勝とも言われる)の居城伝説があるようだ。

 天引城は、標高448.2mの朝日岳山頂に築かれている。登山道はいくつかある様だが、北麓の北登山口から北西尾根に登っていくルートがわかりやすいと思う。登り口から高さ100m程登ると、北西尾根中腹の腰曲輪に至る。ある程度の広さを持っているので、小屋掛けや倉庫などが置かれていたのだろう。そこから更に尾根を登っていくと、尾根中程の円弧状横堀に到達する。塹壕状の横堀で尾根を完全に遮断しており、尾根筋を登ってくる敵を迎え撃つ構造となっている。横堀からは1本だけ竪堀が落ちている。登り道はこの横堀に進入する形で屈曲しており、一種の枡形虎口となっている。その先の尾根はほぼ自然地形に近いが、平場状の地形も散見され、尾根上の曲輪として機能していたと考えられる。主城部は、主郭を中心に3~4段の腰曲輪で囲んでおり、単純な形態ではあるが普請はしっかりされていて、腰曲輪群も想像していたより広い。背後の南尾根には、小郭の先に岩盤を削りぬいたゴツい形の堀切で分断されて、城域が終わっている。また北東尾根を降った先にも遺構があり、最初に見えてくるのが塹壕線の円弧状横堀で、北東尾根のものより規模が大きい。この横堀から尾根に平行に大手道のような通路が降っている。その先を降っていくと小郭が見られる。ちなみにこの北東尾根では昭和期まで石切り場となっていたらしく、削岩機用の圧縮空気配管などが残っており、尾根の形状も改変されている。天引城は、比較的こじんまりした城ではあるが、尾根筋に横堀の防御線を構築するなど、特徴的な縄張りである。
南尾根の堀切→IMG_9248.JPG

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.221210/138.956602/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


羊太夫伝承と多胡碑のなぞ 藤原不比等は討伐されたか

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  • 作者: 関口 昌春
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2003/07/01
  • メディア: 単行本


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