折実館(栃木県益子町) [古城めぐり(栃木)]
←館跡付近の現況
折実館は、歴史不詳の城館である。1586年の新福寺合戦では、益子氏の一族で七井城主の七井忠兼が茂木城主茂木山城守の軍勢と戦って敗れ、討死している。この合戦は折実館付近で行われたと伝えられるが、折実館との直接の関連は不明である。
折実館は、益子町から茂木町に通じる市道脇にあったらしい。ネットの情報では「ましこゴルフ倶楽部」入口の北西の台地の縁にあったとされる。しかし遺構は不明で、北の谷戸へ向かって台地辺縁部の低地の張り出しと、台地上の削り残し土塁みたいなものは見られるが、遺構かどうかは何とも言えない。昭和20年代前半の航空写真を見ると、西と北に谷戸が入り込んだ半島状台地の北端部に位置していることがわかるが、既に明確な遺構は確認できない。失われた城館の様である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.487661/140.138576/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
折実館は、歴史不詳の城館である。1586年の新福寺合戦では、益子氏の一族で七井城主の七井忠兼が茂木城主茂木山城守の軍勢と戦って敗れ、討死している。この合戦は折実館付近で行われたと伝えられるが、折実館との直接の関連は不明である。
折実館は、益子町から茂木町に通じる市道脇にあったらしい。ネットの情報では「ましこゴルフ倶楽部」入口の北西の台地の縁にあったとされる。しかし遺構は不明で、北の谷戸へ向かって台地辺縁部の低地の張り出しと、台地上の削り残し土塁みたいなものは見られるが、遺構かどうかは何とも言えない。昭和20年代前半の航空写真を見ると、西と北に谷戸が入り込んだ半島状台地の北端部に位置していることがわかるが、既に明確な遺構は確認できない。失われた城館の様である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.487661/140.138576/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館