黒田城(群馬県神流町) [古城めぐり(群馬)]
←神社背後の物見台
黒田城は、この地の土豪黒澤氏の城と伝えられている。黒澤氏の事績についてはよくわからないが、上野村に国指定重文の「黒澤家住宅」があり、江戸幕府の直轄地(天領)であった山中領の大総代を務めた黒澤治部右衛門家の居宅であった。おそらく黒田城を築いた黒澤氏と同族であろう。因みに山中領は、神流川沿いの山間地に東西に長く広がっており、下山郷・中山郷・上山郷の3郷、22ヶ村が属していた。前述の黒澤治部右衛門家は上山郷楢原村の名主でもあったが、その他の郷村の名主も黒澤姓が多く、室町・戦国期から一族が神流川沿いに広く盤踞していたものと推測される。
黒田城は、黒田集落北東の標高456mの山稜先端部に築かれている。南西麓から車道が延びているので訪城は簡単だが、残念ながら肝心の遺構は道路建設でかなり改変されてしまっている。車道の行き着いた先は平場となっており、主郭であったらしい。主郭の奥には城山稲荷神社が鎮座しているが、その背後は小さな高台となっており、物見台であったらしい。現在はベンチなどが置かれた広場となっている。その先は急峻な岩場の尾根で、遺構らしい遺構は確認できない。一方、主郭から西側には僅かな段差や堀状の低地が残っており、二ノ郭等の曲輪群があったようだが、改変で曲輪の形態はあまりはっきりしない。黒田城から尾根続きの千軒山には千軒山城があるので、千軒山城を戦時の詰城とし、黒田城は街道監視の物見としての機能が主であったのかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.115335/138.908730/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
黒田城は、この地の土豪黒澤氏の城と伝えられている。黒澤氏の事績についてはよくわからないが、上野村に国指定重文の「黒澤家住宅」があり、江戸幕府の直轄地(天領)であった山中領の大総代を務めた黒澤治部右衛門家の居宅であった。おそらく黒田城を築いた黒澤氏と同族であろう。因みに山中領は、神流川沿いの山間地に東西に長く広がっており、下山郷・中山郷・上山郷の3郷、22ヶ村が属していた。前述の黒澤治部右衛門家は上山郷楢原村の名主でもあったが、その他の郷村の名主も黒澤姓が多く、室町・戦国期から一族が神流川沿いに広く盤踞していたものと推測される。
黒田城は、黒田集落北東の標高456mの山稜先端部に築かれている。南西麓から車道が延びているので訪城は簡単だが、残念ながら肝心の遺構は道路建設でかなり改変されてしまっている。車道の行き着いた先は平場となっており、主郭であったらしい。主郭の奥には城山稲荷神社が鎮座しているが、その背後は小さな高台となっており、物見台であったらしい。現在はベンチなどが置かれた広場となっている。その先は急峻な岩場の尾根で、遺構らしい遺構は確認できない。一方、主郭から西側には僅かな段差や堀状の低地が残っており、二ノ郭等の曲輪群があったようだが、改変で曲輪の形態はあまりはっきりしない。黒田城から尾根続きの千軒山には千軒山城があるので、千軒山城を戦時の詰城とし、黒田城は街道監視の物見としての機能が主であったのかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.115335/138.908730/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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- メディア: 単行本
タグ:中世山城