諸城(群馬県上野村) [古城めぐり(群馬)]
←櫓台から見た堀切と主郭
諸城(もろしろ)は、歴史不詳の城である。勝山・乙母両集落を繋ぐ桧峠の南の尾根に位置し、武州街道の峠の押さえのために築かれたと推測されるが、詳細は不明。地元の伝承では今井某の居城と言い、木曽義仲の側近今井兼平の伝説も伝わるが、ただの伝説に過ぎないだろう。尚、『日本城郭大系』では「神流川流域最奥の城」とある。
諸城は、前述の通り桧峠の南の尾根の標高600m付近に築かれている。この尾根にはハイキングコースが整備されていて、いくつかの登り口があるようだが、私は東麓から勝山神社を経由して桧峠に至り、そこから浄水場の脇をすり抜けて尾根伝いに南下するルートを選択した。林道・ハイキングコースの敷設で破壊されている部分が多く、残っているのは城の中心部のみで、尾根筋の曲輪や櫓台などはかなり削られて改変されてしまっている。城の中心部は、北側に櫓台を設け、その南に堀切と主郭、主郭の南辺に土塁と堀切が確認できる。この他に、『境目の山城と館 上野編』の縄張図にある、櫓台北側の尾根上の縦長の曲輪跡とその先端の堀切脇の竪堀が、辛うじて残っている。峠からやや離れて存在するのが不思議であるが、遺構を見る限り、峠の番所と街道の物見を兼ねた性格の城だった様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.082237/138.779812/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
諸城(もろしろ)は、歴史不詳の城である。勝山・乙母両集落を繋ぐ桧峠の南の尾根に位置し、武州街道の峠の押さえのために築かれたと推測されるが、詳細は不明。地元の伝承では今井某の居城と言い、木曽義仲の側近今井兼平の伝説も伝わるが、ただの伝説に過ぎないだろう。尚、『日本城郭大系』では「神流川流域最奥の城」とある。
諸城は、前述の通り桧峠の南の尾根の標高600m付近に築かれている。この尾根にはハイキングコースが整備されていて、いくつかの登り口があるようだが、私は東麓から勝山神社を経由して桧峠に至り、そこから浄水場の脇をすり抜けて尾根伝いに南下するルートを選択した。林道・ハイキングコースの敷設で破壊されている部分が多く、残っているのは城の中心部のみで、尾根筋の曲輪や櫓台などはかなり削られて改変されてしまっている。城の中心部は、北側に櫓台を設け、その南に堀切と主郭、主郭の南辺に土塁と堀切が確認できる。この他に、『境目の山城と館 上野編』の縄張図にある、櫓台北側の尾根上の縦長の曲輪跡とその先端の堀切脇の竪堀が、辛うじて残っている。峠からやや離れて存在するのが不思議であるが、遺構を見る限り、峠の番所と街道の物見を兼ねた性格の城だった様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.082237/138.779812/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世山城