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割ヶ嶽城(長野県信濃町) [古城めぐり(長野)]

IMG_6154.JPG←三重堀切
 割ヶ嶽城は、北信濃に侵攻した武田軍が攻め落としたとされる城である。元は、平安末期にこの地の土豪柴津為信と言う武士の城とも伝えられるが、確証はない。戦国時代には信越国境の前線にあって、重要な軍事拠点となっていたと考えられている。1561年5月に武田軍が鰐ヶ嶽城を攻め落としており、これが割ヶ嶽城のことと推測されている。すぐ後の9月には激戦となった第4次川中島合戦が行われており、また1564年には野尻城の取り合いがあった。即ちこの地は、甲越両軍の激しい抗争の場となっていたことがわかる。

 割ヶ嶽城は、標高770m,比高125m程の城山に築かれている。連郭式を基本とした縄張りで、南東麓から登道が整備されている。南東斜面をジグザグに登っていく道で、かつての大手道と考えられている。この道は、一部が林道で破壊されている。この道の脇には竪堀の様な溝が降っているが、遺構かどうかは不明。山林搬出の溝であった可能性も考えられる。登道を登りきると、主尾根の南東下方の5郭に至る(以下、曲輪の呼称は『信濃の山城と館8』による)。ここには天水溜と思われる窪みがある。5郭の上に城の主要部がある。真ん中に主郭があり、北辺と西辺に低土塁が築かれている。主郭の西に堀切を挟んで二ノ郭があるが、主郭とニノ郭は堀切の両端に架けられた二重土橋で連結されている。更に西尾根の先に小郭7と、南斜面に6郭が築かれている。一方、主郭の北東には三重堀切が穿たれ、その先に4郭(実質的には三ノ郭)が置かれている。4郭の北斜面には竪堀が見られる。更に北の急峻な尾根には小郭2つと堀切2本が穿たれて、城域が終わっている。この他、南側の斜面に竪堀数本が穿たれているとされるが、現状を見る限りよくわからなかった。割ヶ嶽城は、要地にあって甲越両軍の攻防が繰り広げられた城ではあるが、全体的に規模は小さく、堀切も比較的小規模で、普請のレベルは大きくはない。期待して行ったが、少々肩透かしを食らった印象だった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.809371/138.242061/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館〈8〉水内・高井・補遺編

縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館〈8〉水内・高井・補遺編

  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/01/10
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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