ユリウス2世城(イタリア/ローマ) [ヨーロッパの城郭]
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ユリウス2世城[Castello di Giulio II (Ita.)]は、後にローマ教皇となったオスティア枢機卿ユリウス2世によって、1483年に建造されたオスティアの要塞である。その後、フランス・スペインの紛争の中で、1556年にユリウス2世城はスペイン軍によって包囲攻撃を受けた。18世紀には城は納屋として使われ、その後、古代オスティアの発掘に従事した強制労働者のための刑務所になった時期もあったと言う。
場所は、オスティア・アンティカ遺跡の入口手前にある。城自体は小さく、円形の塔を有した小城砦である。
場所:https://goo.gl/maps/8SKSATS47uu
ユリウス2世城[Castello di Giulio II (Ita.)]は、後にローマ教皇となったオスティア枢機卿ユリウス2世によって、1483年に建造されたオスティアの要塞である。その後、フランス・スペインの紛争の中で、1556年にユリウス2世城はスペイン軍によって包囲攻撃を受けた。18世紀には城は納屋として使われ、その後、古代オスティアの発掘に従事した強制労働者のための刑務所になった時期もあったと言う。
場所は、オスティア・アンティカ遺跡の入口手前にある。城自体は小さく、円形の塔を有した小城砦である。
北東側から見た城壁→
場所:https://goo.gl/maps/8SKSATS47uu