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吉井陣屋(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9023.JPG←南西部の土塁跡
 吉井陣屋は、京都五摂家の一、鷹司家の出である松平信平を祖とする鷹司松平家の陣屋である。この地にはその前身として吉井城があった。1590年に徳川家康が関東に移封となると、家臣の菅沼定利が2万石を与えられ、吉井城を築いた。1610年、定利の養子忠政は美濃国加納に移封となって吉井城は廃され、その所領は幕府領や旗本の知行地となった。1682年、堀田正休が吉井藩を立藩したが、1698年に近江国宮川に移封となり、その所領は再び複数の領主の分割支配となった。一方、松平信平は徳川3代将軍家光の正室孝子の弟で、姉を頼って江戸に下って幕臣となり、後に紀州藩徳川頼宣の女婿となって松平姓の名乗りを許された。石高は1万石に過ぎなかったが、徳川親藩として江戸城中で重きをなした。藩主は江戸定府で、陣屋を置いて藩治に当たらせた。陣屋は始め木部陣屋、次いで矢田陣屋に移り、1752年、松平信友が藩主の時に吉井陣屋に移った。12代信謹の時に明治維新を迎え、廃藩となった。

 吉井陣屋は、吉井小学校のすぐ南東側にあった。南に大手門を構え、外桝形を形成し、陣屋の周囲には土塁と堀を築いていたと言う。現在陣屋跡は市街化し、吉井駅前から南に伸びる県道が陣屋跡を貫通しているため、遺構はほとんど残っていない。しかし一郷山城の資料館に掲げられた「吉井城館図」と照合すると、陣屋の形が道となって残っていることがわかる。また南西角部の土塁が残っており、石碑などが建っている。この他、陣屋表門が、少し南に離れた吉井文化会館脇に移築されて現存している。もう少し陣屋跡に標柱などが整備されていると良いのだが。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.254414/138.984518/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


完本 【決定版】 図説 江戸三百藩「城と陣屋」総覧

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2013/08/28
  • メディア: 単行本


タグ:陣屋
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