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清野氏居館(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

IMG_0326.JPG←古峰神社の建つ平場
 清野氏居館は、清野屋敷とも呼ばれ、この地の土豪清野氏の屋敷があったと伝えられる。清野氏は北信の雄、村上氏の一族で、数代この地に居したが、後に海津館(海津城の前身)を築いて移り、この地には蔵を置いたらしい。以後、禽敖屋敷と呼ばれるようになった。戦国中期に武田信玄がこの地に侵攻すると、1553年8月、武田氏に敗れた清野山城守清重(清寿軒)は村上義清と共に越後上杉氏を頼って落ち延びた。1582年に武田勝頼、織田信長が相次いで滅びると、武田遺領をめぐって周辺諸勢力が争奪戦を繰り広げ、北信四郡は上杉景勝の支配下となり、その家臣清野左衛門尉はこの地に居住したとも、或いは猿が馬場峠の隣地、竜王城に入ったとも伝えられる。江戸時代になると真田氏の所領となり、寛永年間に焼亡したと言う。

 清野屋敷は、古峯神社の建っている尾根先端部にあったと伝えられている。神社がある平場は比較的小規模で、屋敷を建てるには少々狭い。その一段上に畑になっている平場があり、そこならばもう少し大きな屋敷が建てられそうである。その上にも小さい平場があり、観音堂が建っている。そこは高源寺跡とされ(現在は廃絶)、かつての境内にあった真田信之と真田大学(松代藩2代藩主真田信政の3男)の供養塔がある。いずれにしても土豪の居館にしても小さすぎ、蔵か何かしかなかったものが屋敷地として伝承されてしまったのではないだろうか?

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.554982/138.180639/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


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タグ:居館
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