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中御所守護館(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

IMG_0609.JPG←館跡に建つ御所天満宮
 中御所守護館は、漆田館とも呼ばれる。1198年に源頼朝が善光寺に参詣した際の宿跡と言われ、またこの地の土豪漆田氏の居館であったと推測されている。また「中御所」と言う地名から、信濃守護小笠原氏の守護所かそれに関連した城館とする説もある。1400年の大塔合戦で守護小笠原長秀が敗退した後、その弟の政康は上杉禅秀の乱の討伐で軍功を挙げたことで再び信濃守護に補任され、中御所に守護所を置き、信濃国内を統一して権勢を誇った。1442年に政康が亡くなると、子の宗康と従兄弟の持長との間で家督争いになり、1446年、漆田原で両軍は激突した。この漆田合戦も守護館付近で行われたとされる。この戦いで、持長は守護館を攻め、宗康を滅ぼした。宗康滅亡後に守護館は廃され、持長は府中(現在の松本市)に移ったと言う。応仁・文明年間(1467~87年)には、この地を支配した漆田氏が砦を構えたとされる。漆田氏は秀興・秀豊・貞秀の3代が確認されており、往時は漆田城と呼ばれて栗田氏など周辺土豪層と抗争を繰り返す中で防備を固めていた様である。しかし3代の後の漆田氏の動向は不明であり、またこの漆田氏が鎌倉時代の漆田氏と同じ一族かどうかも不明である。

 中御所守護館は、JR長野駅から南に500m程の位置にある。この地域は近年区画整理されて大きく改変されており、元々市街化の波に飲まれて遺構は湮滅していたが、新興住宅街となっていて往時の雰囲気は微塵もない。館跡の北辺部に御所天満宮が鎮座し、その名にわずかに名残を留めているに過ぎない。尚、区画整理事業に伴う発掘調査で、堀や土塁が検出されている他、輸入陶磁器の破片などが見つかっていると、現地解説板に記載されている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.639016/138.186775/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


信濃小笠原氏 (シリーズ・中世関東武士の研究 第18巻)

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タグ:居館
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