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一の宮氏館(群馬県富岡市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_0971.JPG←神社境内と分断する堀切
 一の宮氏館は、貫前神社の社人一の宮氏の居館である。初めは正神主の尾崎氏の居館であったらしいが、戦国初期に一の宮氏に替わったらしい。戦国後期に武田信玄が西上州を支配下に置くと、一の宮氏も武田氏に従い、武田氏滅亡後に北条氏が上州の大半を支配すると北条氏に属した。1590年に北条氏が滅亡すると、関東に入部した徳川家康に社領を安堵された。

 一の宮氏館は、貫前神社の東に続く独立丘陵の東端部に築かれている。神社境内とは堀切で分断され、更に堀切で区画された2~3の曲輪に分かれている様で、主要部には現在、市の社会教育館が建てられている。これは戦前の昭和11年、ちょうど日本全体が急速に右傾化していた時代に、「東国敬神道場」という愛国教育のために作られた施設で、陸軍特別大演習の巡察のために群馬県に昭和天皇(陸軍大元帥でもある)が行幸されたことを記念して作られた。現在は神道色・愛国色は薄められているものの、昭和の国家神道教育の名残を残している。もっと批判的側面を主張した歴史遺産として扱われるべきだが、そうした批判色が極めて薄いことには少々疑問を持たざるを得ない。ただ純粋に昭和初期の和式建築の遺構として見れば、細部の装飾等に見るべきものはある。一方、肝心の城館遺構は、教育館の渡り廊下部分に堀切が残り、北側には土塁も残る。その北側に横堀が穿たれているようだが、盛夏の訪館だったので薮で確認できなかった。東の一段低い山林内にも平場が続き、鎮塚という土壇が先端近くに残っている。その東側にも一段低い平場が見られる。近代の改変もあることから、城館遺構としてはあまり評価できないが、何より隣接する貫前神社の社殿が素晴らしい。この神社はちょっと変わっていて、鳥居の先の参門をくぐると、ずっと降った所に社殿が建っている。普通は門の先を登った所に社殿があるものだが、降った所にあるという神社形態としても貴重だろう。本殿も単層2階建の「貫前造」という独特の社殿形式と、雷神小窓と称する小窓が設置されており、これも貴重である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.255071/138.859323/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:居館
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