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田ノ口館(長野県佐久市) [古城めぐり(長野)]

IMG_1226.JPG←田口城下の蕃松院
 田ノ口館は、田口城の山麓居館である。田口城を築いた田口氏が当初の館主であった。天文年間の末に田口氏が武田氏の佐久侵攻によって滅びると、武田氏の家臣相木常林が館主となった。1582年に武田勝頼、織田信長が相次いで滅びると、権力の空白地帯となった旧武田領を巡って北条・徳川・上杉による争奪戦が始まった(天正壬午の乱)。信長の重臣であった滝川一益を神流川合戦で撃破して上州を席巻した北条氏直が、碓氷峠を越えて佐久に進軍すると、佐久の国人衆は相次いで北条氏に臣従し、相木氏も北条氏に服属した。一方、徳川家康の元で織田方による武田遺臣狩りから匿われていた依田信蕃は、家康の命で佐久に戻り武田家の旧臣達を徳川方に付ける工作を始めていたが、佐久に侵攻してきた北条の大軍の前に衆寡敵せず、三澤小屋に籠城した。その後、徳川方の援軍を得て、新府城に拠る徳川方と対峙する若神子城の北条勢の後方を脅かし続けた。真田昌幸が徳川方に寝返って、佐久の国人衆が徳川方に付くようになると、信蕃は佐久の平定を押し進め、相木氏は田口城を放棄し、北条氏を頼って上州に逃亡した。その後、信蕃は春日城を奪還し、前山城に移り、更に田口城に入って城下に田ノ口館を構え、家臣を招いて祝宴を張ったと言う。その後、信蕃に抵抗する土豪達が大井氏の岩尾城に終結したため、信蕃はこれを攻撃したが難戦となり、実弟信幸と共に敵の銃撃を受けて討死した。その子康国は小諸城と松平姓を家康から与えられ、父の菩提を弔う為に館跡に接して蕃松院を創建した。

 田ノ口館は、前述の通り蕃松院が建っている。田口城の南麓に位置し、前面は石垣が築かれた立派な構えで、見るからに居館を置くに相応しい場所である。しかし明確な遺構ははっきりせず、どこまで往時の形を残しているかは不明である。寺の裏から田口城への登道があるが、盛夏なので登城しなかった。いずれ田口城に登る時に再訪することになるだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.199179/138.503137/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


天正壬午の乱 増補改訂版

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タグ:居館
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