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桃井城(群馬県吉岡町) [古城めぐり(群馬)]

IMG_2541.JPG←北出曲輪周囲の土塁
 桃井城は、南北朝時代の武将桃井播磨守直常の居城であったと伝えられている。桃井氏は足利一門で、鎌倉時代にはここを本貫地として居住していたとされる。直常は当初は新田義貞に従って鎌倉攻めに参陣したが、後には足利氏に従った。『太平記』によれば、将軍足利尊氏の執事として絶大な権勢を誇った高師直に戦功を無視されたため、徹底的な反尊氏派・反師直派となったとされる。その後、尊氏の弟直義に従い、石堂頼房と並んで直義党の最強硬派で、尊氏との和睦に徹底して反対し、観応の擾乱で尊氏方と激しく干戈を交えた。勇猛な武将ではあったが、その振る舞いには『太平記』や今川了俊の『難太平記』などに批判的な記事も見られる。長らく越中守護であったため、弟の直和と共に越中を拠点としていたが、直義やその養子直冬(実は尊氏の庶子)が敗退して観応の擾乱が収束すると、消息を絶った。一説には、故地の上野国に戻り、榛東村播磨に隠棲したとも言われる。

 桃井城は、標高247.5m、比高30m程の丘陵上に築かれている。近代になってから農地開放で耕地化されたとのことで、城内は大きく改変されている。現在は、給水設備が建つ他、整備途上の公園となっている。山頂には主郭があったと思われるが、ここもかなり改変が見られる。北東の北出曲輪の周囲にだけ土塁が残っている。その外周には横堀があったらしいが、今は歩道が舗装されて堀跡らしさは消えてしまっている。尚、城跡から東方約600mの所に、直常夫妻の墓と伝えられる桃井塚がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.439341/138.996470/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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  • 作者: 亀田 俊和
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/07/19
  • メディア: 新書


タグ:中世平山城
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