東郷陣屋(栃木県真岡市) [古城めぐり(栃木)]
←陣屋跡の石碑と解説板
東郷(ひがしごう)陣屋は、二宮金次郎(尊徳)所縁の陣屋である。1799年に幕府の費用で築造され、翌1800年に岸本武太夫就美が家族と共に陣屋に入り、この地を治めた。1848年、東郷支配山内総左衛門が、兼任で真岡支配となり真岡陣屋に移った時、代わりに東郷陣屋に入ったのが桜町陣屋にいた二宮金次郎である。金次郎は1842年から幕臣となり、東郷陣屋に入ってから山内氏に信頼され、荒地起返・用水整備・道路改修などを行うと共に、真岡陣屋の再建等にも尽力した。1868年、官軍の焼き討ちによって焼失し、廃陣となった。
東郷陣屋は、穴川用水の脇に築かれていた。現在は畑と空き地などに変貌しており、遺構は完全に湮滅している。県道61号線沿いに石碑と解説板が建っているだけである。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.446781/140.026374/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
東郷(ひがしごう)陣屋は、二宮金次郎(尊徳)所縁の陣屋である。1799年に幕府の費用で築造され、翌1800年に岸本武太夫就美が家族と共に陣屋に入り、この地を治めた。1848年、東郷支配山内総左衛門が、兼任で真岡支配となり真岡陣屋に移った時、代わりに東郷陣屋に入ったのが桜町陣屋にいた二宮金次郎である。金次郎は1842年から幕臣となり、東郷陣屋に入ってから山内氏に信頼され、荒地起返・用水整備・道路改修などを行うと共に、真岡陣屋の再建等にも尽力した。1868年、官軍の焼き討ちによって焼失し、廃陣となった。
東郷陣屋は、穴川用水の脇に築かれていた。現在は畑と空き地などに変貌しており、遺構は完全に湮滅している。県道61号線沿いに石碑と解説板が建っているだけである。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.446781/140.026374/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:陣屋