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湯元小屋楯(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_5508.JPG←空堀跡?の道
 湯元小屋楯(湯元小屋館)は、秋保郷の土豪秋保氏の庶流秋保摂津守盛義が築いたと伝えられている。秋保盛房の弟盛義は馬場村に居住して上館城を居城とし、一名を馬場と称し、合わせて湯元小屋楯を築いて秋保郷の東西両端の護りを担った。盛義の孫で馬場秋保氏3代定重は、永禄年間(1558~69年)に新たに豊後館を構えて居城を移したが、永禄・天正年間(1558~92年)から江戸初期の1603年まで、小屋楯にも居住したとされる。こうして湯元小屋館は初代盛義から6代重久の頃まで機能し、秋保郷の両端を秋保摂津守一族が押さえることで、外敵の侵入を防いだと言う。

 湯元小屋楯は、名取川南岸にそびえる比高60m程の断崖上に築かれている。この断崖は、北面は垂直に近い絶壁で囲まれており、人を寄せ付けない。北西の尾根も傾斜がきつく、登り得るのは北東の尾根筋のみで、天守閣自然公園内の回遊路が通っており、北東麓から登り道がある。断崖上に広い平坦地が広がっており、そこに城館があったらしい。断崖上は自然地形の平場が広がっているだけで、空堀、土塁等の遺構があるとされるが、どこのことを言っているのか良くわからない。しかし平坦地の中央付近に水の手らしい湧水池があり、土塁を伴っている。またその北東方に堀底道らしいものがあるが、これが現地解説板に記載のある空堀のことであろうか?その脇には一応土塁らしき土盛りも見られるが、縄張り的にどうなっているのかは判然としない。前述の登り道のある尾根の南側は深い谷が刻まれており、登り道のある尾根の先端付近は独立性のある物見台となっているらしい。この物見台に祠も祀られている。この他、南には山地が続いているが、堀切などは確認できない。城内は回遊路が通っている為、城跡の薮はきれいに整備されている。湯元小屋楯は、この様に明確な防御構造はほとんど見られず、急峻な断崖だけで守りを固めた城館だった様である。但し、平場は広いので、居住性は十分である。
土塁を伴う水の手→IMG_5520.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.228809/140.711389/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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