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天王山城(群馬県安中市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_6172.JPG←主郭北側の堀切
 天王山城は、永禄年間(1558~70年)に須藤氏が築いて居城としたと伝えられている。城主としては須藤安房守の名が伝わっている。永禄年間と言えば、ちょうど武田信玄の上州侵攻の時期に当たり、武田氏に服属してからその命で天王山城を築いた可能性がある。須藤氏については、信玄が1567年に生島足島神社に奉納した起請文に、安中衆として須藤縫殿助久守の名が見える。武田氏滅亡後、上野が北条氏の支配下に入ると須藤氏も北条氏に属し、北条氏滅亡後は帰農したと言う。天正年間(1573~92年)に碓氷郡野尻へ移ったと言われているので、それはこの北条氏滅亡後のことであったかもしれない。江戸時代には、中山道安中宿の本陣を勤めた名家であった。

 天王山城は、標高270mのなだらかな丘陵上に築かれている。7~8年程前までは薮払いがされていたようだが、現在は全くの未整備で全山酷い薮に覆われている。『日本城郭大系』の縄張図によれば、南北に長い樽型の主郭と、南に笹曲輪(馬出し?)を設けており、それぞれ堀切で区画されている。しかし薮が酷く、辛うじて堀切・土橋がわかる程度で、曲輪の輪郭を追うのも困難である。主郭内部は削平が甘く、居住性のある城ではなく、番兵を置いた物見の砦という感じである。とにかく丘陵全体がド薮に覆われ、北西麓の安中市ふるさと学習館から途中までは登道があるものの、そこから城跡までのアクセスも困難である。遺構としても見るべきものは少ない。

 お城評価(満点=五つ星):☆(薮で減点)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.289912/138.896070/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


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