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大明神山の砦(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9436.JPG←主郭下方の2本の円弧状堀切
 大明神山の砦は、駒形城とも呼ばれ、歴史不詳の城砦である。確証はないが、吾妻を領有していた真田昌幸が、1582年から始まった小田原北条氏の侵攻に備えて築いたものと考えられている。烏川を望む断崖の上にあり、烽火台としても利用されたと言う。戦国時代には麓に浅間寺があり、そこの修験者達がこの城の烽火師を務めたと伝えられる。隣接する天狗山の砦と併せて、別城一郭を為している。

 大明神山の砦は、標高570m、比高80mの山上に築かれている。山麓に浅間神社があり、その裏から遊歩道が整備されているので訪城はたやすい。小規模な城ではあるが、天狗山の砦よりも一回り大きく、普請も徹底されている。頂部の主郭には西と南に土塁が築かれ、主郭の南西には合計4本の堀切が穿たれている。1本目は、主郭の下方を南から西側まで横堀となって廻らされている。2本目は南西尾根に円弧状に穿たれており、1本目との間に馬蹄形のニノ郭を置いて、堀底への防御陣地としている。2本目の更に外側に穿たれた2本の堀切は、間に方形の小郭を置いているが、堀切はいずれも浅い。また1本目と2本目の堀切の東端部は腰曲輪となり、浅間神社から伸びる大手道を防衛する曲輪群として機能している。この他、主郭の北側下方にも小郭が置かれている様である。
 標高は低いが烏川沿いの街道監視に好適な大明神山の砦は、天狗山の砦より大型で防御も固い。天狗山の砦はより高所にあるが小規模であり、大明神山の砦の情報をより遠方に伝達する烽火台として機能したのであろう。両者の機能の違いがその縄張りから推測できる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.444986/138.768632/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


真田幸綱・昌幸・信幸・信繁―戦国を生き抜いた真田氏三代の歴史

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  • 発売日: 2015/11
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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