味城山砦(群馬県みなかみ町) [古城めぐり(群馬)]
←南東の竪堀
味城山砦は、見城の柵とも呼ばれ、小川城主小川可遊斎が鉢形城主北条氏邦の大軍に攻められた際、立て籠もって抵抗した城砦と伝えられている。その経緯については小川城の項に記載する。可遊斎は将兵を指揮して大いに奮戦したが、700mもの高山であったため、水や食料の補給が困難となり、結局越後へと落ち延びたという。
味城山砦は、上越新幹線上毛高原駅の西にそびえる標高757.4m、比高307m程の味城山に築かれている。東麓から南東の尾根まで登道があり、そこから尾根筋を登れば城址に至る。平坦な山頂に、東西に4つの曲輪を連ね、周囲に帯曲輪群を廻らしている。4つの曲輪は堀切で区画されているが、堀切はいずれも浅くささやかなものである。南東の帯曲輪には明確な竪堀が落ちており、他の遺構がささやかなのと比べると異彩を放っている。この竪堀は南の支尾根からの斜面移動を防ぐためのものの様である。この南支尾根にも竪堀が数本穿たれ、先端に物見台が置かれていた様である。また北西に伸びる尾根にも遺構らしいものがあり、小堀切も見られる。その北斜面に何段かの腰曲輪の様な地形が見られるが、構造が崩れていて不明瞭である。味城山砦は、北条氏の攻撃に備えて急ごしらえで作った城らしく、あまり本格的な普請はされていない様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.692528/138.965957/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
味城山砦は、見城の柵とも呼ばれ、小川城主小川可遊斎が鉢形城主北条氏邦の大軍に攻められた際、立て籠もって抵抗した城砦と伝えられている。その経緯については小川城の項に記載する。可遊斎は将兵を指揮して大いに奮戦したが、700mもの高山であったため、水や食料の補給が困難となり、結局越後へと落ち延びたという。
味城山砦は、上越新幹線上毛高原駅の西にそびえる標高757.4m、比高307m程の味城山に築かれている。東麓から南東の尾根まで登道があり、そこから尾根筋を登れば城址に至る。平坦な山頂に、東西に4つの曲輪を連ね、周囲に帯曲輪群を廻らしている。4つの曲輪は堀切で区画されているが、堀切はいずれも浅くささやかなものである。南東の帯曲輪には明確な竪堀が落ちており、他の遺構がささやかなのと比べると異彩を放っている。この竪堀は南の支尾根からの斜面移動を防ぐためのものの様である。この南支尾根にも竪堀が数本穿たれ、先端に物見台が置かれていた様である。また北西に伸びる尾根にも遺構らしいものがあり、小堀切も見られる。その北斜面に何段かの腰曲輪の様な地形が見られるが、構造が崩れていて不明瞭である。味城山砦は、北条氏の攻撃に備えて急ごしらえで作った城らしく、あまり本格的な普請はされていない様である。
主郭の堀切→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.692528/138.965957/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1