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三ヶ郷城(群馬県みどり市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_2236.JPG←主郭背後の堀切
 三ヶ郷城は、黒川谷の郷士が築いた黒川八城の一つで、東宮修理の城であったとも、或いは永禄年間(1558~70年)に東宮丹波守が築いた城とも伝えられる。時期的には黒川谷が桐生氏の影響下にあった時代で、一方で越山した上杉謙信や金山城主由良氏の勢力が伸びて政情が流動的になっていた時代でもあった。こうした不穏な情勢から、東宮氏は山城を構築したのかも知れない。

 三ヶ郷城は、標高490m、比高160mの山上に築かれている。南尾根が大手で、ここから登っていくが、途中までは林道がある。南尾根の先端近くに電波の反射板(白い色の大きな金属板)があるので、よい目印になる。この先を登っていくと、小堀切の先の大手郭に至る。この大手郭は、虎口もあり、周りに低土塁も築かれているが、内部はほとんど自然地形の斜度のある尾根で削平されておらず、あまり普請は明確ではない。更に尾根を登ると、前面に堀切が穿たれた主郭が見えてくる。三ヶ所郷城は、ほとんど単郭の小規模な城で、主郭は南側がやや広がった曲輪で、前後を堀切で穿って防御し、主郭周囲には腰曲輪を築いている。主郭には後部のみに土塁が築かれ、南西と北東の2ヶ所の虎口が開かれ、それぞれ腰曲輪に繋がっている。また堀切の外にはそれぞれ小さな堡塁が置かれて尾根筋の監視と防御の拠点となっている。この他、『日本城郭大系』の縄張図によれば、北の尾根の先や南東尾根にも曲輪群が連なるとされるが、北尾根を見たところほとんど自然地形で遺構は明確でなく、南東尾根については遠目に見た限り期待薄だったので確認しなかった。いずれにしても小規模な城砦である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.533209/139.320545/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


日本城郭史

日本城郭史

  • 作者: 齋藤 慎一
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2016/11/18
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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