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伊勢崎陣屋(群馬県伊勢崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_8481.JPG←西から見た城跡の現況
 伊勢崎陣屋は、1681年に酒井忠寛によって築かれた陣屋である。その前身は、戦国時代に那波氏の家臣赤石左衛門尉が築いた赤石城とされる。赤石城は2つあり、前橋市飯土井町にも赤石城がある。赤石氏は、最初は飯土井の赤石城に居たが、後に伊勢崎の赤石城を新たに築いて移ったと言われている。この地域は小田原北条氏と越後上杉氏の勢力の接壌地帯となった為、両者の勢力争いに巻き込まれた。1560年、上杉謙信は初めて越山して関東に出馬し、伊勢崎の赤石城を攻略して北条方の那波宗俊を没落させた。那波領は上杉氏によって金山城主由良成繁に与えられ、その家臣林高成が赤石城に在城した。この後、由良氏は北条方に付いたが、1584年に再び北条方から離反し、金山城を北条方の軍勢に攻撃された。この時、北条氏の麾下にいた那波顕宗(宗俊の次男)は赤石城を占拠した。由良氏が北条氏に降伏した後、大和晴親が北条氏から派遣されて那波城に在城し、赤石城はその支配下に入った。1590年の北条氏滅亡後、徳川家康が関東に移封となると、白井城主本多広孝の支配地となった。1597年、稲垣長茂が大胡の樋越から赤石城に移った。1616年、稲垣氏の越後三条への転封により、赤石城は廃された。その後、厩橋城主酒井忠世に伊勢崎2万石が与えられ、1681年、酒井忠寛の時に赤石城の故地に伊勢崎陣屋が築かれ、幕末まで存続した。

 伊勢崎陣屋は、西を流れる広瀬川に臨む段丘上に位置し、伊勢崎市立北小学校の付近にあった。しかし残念ながら城跡は市街化されて遺構は完全に湮滅し、その縄張りを推測することも困難である。『日本城郭大系』の縄張図によれば、やや西に偏した本丸を取り囲むように、土塁と堀を築いた二ノ丸が置かれていた様で、陣屋と言うより完全に城の作りであったらしい。城跡には解説板はおろか標柱すら設置されておらず、極めて残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.322732/139.190941/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:陣屋
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