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佐久山義隆滅亡地(栃木県矢板市) [その他の史跡巡り]

IMG_3199.JPG←境が峯の地蔵尊と供養塔
 佐久山義隆は、那須氏の一族佐久山氏の最後の当主である。佐久山氏は、那須与一宗高の兄・次郎泰隆を祖とする一族で、佐久山城を居城としていた。時に那須氏の重臣に返り咲いた大田原資清は、長男高増を大関氏の養子に、次男資孝を那須一族の福原氏の養子にし、3男綱清に大田原氏を継がせた。また長女を佐久山義隆(資信?)の室に、次女を那須政資の室とし、那須氏の家中を牛耳った。1563年5月、福原資孝は兄弟の大関高増・大田原綱清と共に謀略をもって佐久山義隆を殺害し、佐久山氏を滅亡させて、その遺領は福原氏に併呑された。伝承では、「うずら狩り」を口実に誘い出し、境が峯と言う所で酒に酔わせて殺したと言う。また義隆の妹も佐久山城内の井戸に突き落とし、石埋めにして殺害したと言う。佐久山家の滅亡を嘆き悲しんだ義隆の妻は尼となり、2人の冥福を弔って一生を終えた。

 佐久山義隆が殺された場所は、江川西方の丘陵中腹にある。ここには義隆夫妻と義孝の妹の3人の霊を慰めるため、佐久山氏家臣の子孫によって3体の地蔵が建てられている。「境が峯の地蔵尊」と呼ばれているが、ネット上にはほとんど情報がない上、地蔵尊のすぐ南側を通る県道にも案内標識もないし、登り口の表示もない。地元の人でも知らない人が多いのではないだろうか。それだけ他所者に知られたくない、恨み深い場所ということかもしれない。私がここを知ったのは、大田原市で「大田原氏3代」という企画展があり、その講演会で紹介があったからである。山中にひっそりと佇む3体の地蔵とその上にある佐久山家の供養塔はきれいに整備され、登道もしっかりしている。有志の人々(佐久山氏遺臣の末裔?)によって、維持されているのだろう。この事件に限らず、大田原氏の経歴には謀略が付き纏っており、いくら戦国乱世とは言え少々やりきれない思いになる。それ故、どうも私は大田原氏が好きになれない。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.817719/139.949480/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


地蔵菩薩: 地獄を救う路傍のほとけ

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タグ:墓所
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