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小菅城(山梨県小菅村) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1076.JPG←主郭後部の櫓台
(2020年12月訪城)
 小菅城は、この地の領主小菅遠江守信景の居城と伝えられる。信景は、武田氏13代信昌の家臣で、一族衆でもあったらしい。甲武国境の警備に当たると共に、丹波黒川金山を支配していたと言う。信景以後の歴代の居城となった。小菅氏は武田氏に仕え、信玄・勝頼の時代には侍大将・足軽大将として活躍した。しかし1582年の織田信長による武田征伐で、武田氏が滅亡すると、一族の小菅五郎兵衛尉忠元は甲斐善光寺門前で小山田信茂らと共に織田信忠に誅殺された。またその他の一族では、天正壬午の乱で徳川方に付いて郡内に進攻した北条勢を撃退した小菅又八郎信有・同次郎三郎信久・同九兵衛等があり、徳川氏の旗本となったと言う。

 小菅城は、小菅川と宮川の合流点東側の比高60m程の山上に築かれている。山間のかなり奥地にある城で、南麓の小菅小学校の校地辺りが「御屋敷」と呼ばれ、平時の居館が置かれていたらしい。その西側の保育園の脇に解説板があり、その奥から登山道が整備されている。3つの曲輪を堀切で分断した連郭式の縄張りとなっている。南端にあるのが主郭で、内部は上下2段の平場に分かれ、上段曲輪の東辺に土塁を築き、その延長上の主郭北側に櫓台を築いている。主郭の北側には堀切が穿たれ、その先に細尾根上の二ノ郭、更に堀切を挟んで、三ノ郭が築かれている。三ノ郭も上下2段の平場に分かれている。三ノ郭と北東の尾根は斜面だけで区画されている。この斜面は切岸と言うほどの傾斜はなく、現地の縄張図等では堀切とされるが、実際には堀切は確認できない。この他、主郭の外周と二ノ郭・三ノ郭の東西の斜面には帯曲輪が1段廻らされている。帯曲輪は部分的に武者走りに近いぐらい狭くなっている。主郭周囲の帯曲輪から南に降った所には小平場があり、城門があったらしい。遺構としては以上で、単純な構造のかなり小規模な城である。
主郭櫓台から見た堀切・二ノ郭→DSCN1062.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.761714/138.939704/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

山梨の古城

  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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