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山の固屋城(群馬県東吾妻町) [古城めぐり(群馬)]

DSCN1938.JPG←竪堀と腰曲輪群
(2021年2月訪城)
 山の固屋城は、歴史不詳の城である。城は深沢川沿いの道の西側にあるが、この道は榛名湖畔まで通じており、往古は草津街道の脇道として重要な間道であったと思われる。おそらくこの間道を押さえる目的で築かれた城で、天正年間(1573~92年)の小田原北条氏の吾妻侵攻期に、真田氏によって築かれた城と推測されている。

 山の固屋城は、深沢川とその支流の合流点南側にそびえる、標高680m、比高90m程の山上に築かれている。主郭の北東斜面に高圧鉄塔が建っており、その保守道が北東麓から整備されているので、迷うことなく登ることができる。山頂の主郭は、南東から北西に向かって伸びた細長い曲輪で、主郭の北西側には腰曲輪群が築かれている。その最上段にある小郭は、竪土塁で主郭の北辺と繋がり、東側に虎口を築いている。やや特殊な形態の虎口郭と考えられる。その下の腰曲輪には、低土塁が築かれ西端から竪堀が落ちているもの、下段付近で竪堀・横堀がL字型に穿たれているもの、等が構築されている。この北西の腰曲輪群の北東側には竪堀が穿たれている。この竪堀は、最上部でV字に繋がった2本の竪堀のうちの一つで、V字の頂点部分の脇には前述の虎口郭に入る虎口が作られている。竪堀から北に伸びる尾根には、2本の堀切を挟んで小郭群が続き、先端に物見台が築かれている。また主郭の背後には2段の段曲輪が築かれ、その下に南尾根を区画する堀切がある。北東の尾根には二ノ郭が置かれ、二ノ郭の先端部外周には2段の帯曲輪が円弧状に廻らされている。前述の鉄塔保守道は、この帯曲輪に繋がっている。
 以上が山の固屋城の構造で、主郭の北西部だけが一点豪華主義の様にやや複雑な構造を有している。一方で、山自体は傾斜があまりきつくなく、要害性はさほど高くない。堀・土塁などの普請も規模は小さく、真田氏が北条氏に備えたにしては、ちょっと中途半端な印象である。地元の地衆が逃げ込み城として築いた可能性も考えられないだろうか?
主郭に繋がる虎口郭の竪土塁→DSCN1880.JPG
DSCN1933.JPG←北尾根の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.527105/138.825785/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

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タグ:中世山城
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