SSブログ

羽田城(群馬県東吾妻町) [古城めぐり(群馬)]

DSCN2621.JPG←主郭背後の大堀切
(2021年2月訪城)
 羽田城は、箕輪城主長野氏の一族羽田氏の居城である。1562年、武田信玄は羽田彦太郎を逐って、その跡を手小丸城主浦野重成に与えたと言う。また永禄年間(1558~70年)頃に羽田長門守康文が城主であったとの伝承もある。彦太郎は康文の子である可能性があるが、正確な関係は不明である。

 羽田城は、今川北岸の比高80m程の丘陵南端部に築かれている。平坦な丘陵上ではなく、丘陵の南斜面に築かれているため、城内は予想外に高低差が大きい縄張りとなっている。南西に大きく張り出したひしゃげた五角形状をした主郭と、堀切を介して北に配置された長方形の北郭から構成されている。主郭は内部が階段状に3段に区画され、最上段は更に東西にわずかな段差で区切られている。主郭の南中央には平虎口があり、その左側で塁線が張り出して横矢を掛けている。主郭の東西には横堀が穿たれ、背後の堀切と繋がっている。この横堀からは、西側で2本の竪堀が落ちている。また東側の横堀も、南端で直角に曲がって竪堀となって落ちている。この堀の直角部から上の腰曲輪に向かっても堀状通路が伸び、虎口を形成していたものと見られる。西の横堀の南端部にも虎口らしい部分があるが、この辺りは薮がひどくて形状がわかりにくい。北郭は、背後にも堀切が穿たれ、前後を堀切で分断されている。いずれの堀切も規模が大きく一直線に穿たれている。この他、主郭の南東部にも平場があり、ここも一郭であったと思われる。南東端に愛宕山大権現と刻まれた小さな石祠が立っている。以上が羽田城の遺構で、堀切が大きく、外周の横堀から落ちる竪堀を駆使した城であるが、一方で横矢掛りは少ない特徴がある。
主郭西側の横堀→DSCN2659.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.528873/138.744439/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

  • 作者: 松岡 進
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2015/02/27
  • メディア: 単行本



タグ:中世平山城
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー