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三島根小屋城(群馬県東吾妻町) [古城めぐり(群馬)]

DSCN2813.JPG←登り途中の二重堀切の内堀
(2021年2月訪城)
 三島根小屋城は、天文弘治の頃(1532~58年)に手子丸城主大戸浦野氏の家臣江見山城守の居城であったと伝えられる。江見氏は、浦野氏と共に岩櫃城主斎藤憲広と戦ったが敗れ、信濃へ落ち延びたと言う。その後、浦野下野守が三島根小屋城に入ったとされる。尚、吾妻川の対岸には斎藤氏の支城岩下城があり、三島根小屋城と対峙している。

 三島根小屋城は、吾妻川南岸の標高675m,比高240m程の斥候山(城山)に築かれている。城域は、山麓台地上の鉄塚と呼ばれる麓城と斥候山の山城部分に分かれている。
 鉄塚部は、諏訪神社背後の比高50m程の平坦な台地上にあったが、近年の上信道建設で東側半分ほどが破壊されてしまっている。しかし西半分は残っており、畑となった平場の北側に大きな方形の土壇があり、櫓台であったらしい。台地上の平場の南斜面には、腰曲輪らしい平場が一段あり、また台地の西側の斥候山に登る手前には、数段の平場群と堀状通路が見られる。但しこの辺りは林業などで改変されている可能性もあるので、全てが城の遺構かどうかは判然としない。
 山城部は、山頂までの長い尾根に段曲輪が散発的に配置している。砂礫部の多い急傾斜の尾根で、城道は一部を残してほとんど消滅しているため、ほとんど尾根直登となる。段曲輪群には、ほとんど技巧的なところは見られず、単に曲輪をポツポツと並べただけで、戦国期の城と言うより南北朝期の古い形態の城の様に思える。途中に石積みらしいものも見られるが、構築意図は不明である。段曲輪群の途中には2ヶ所に堀切が穿たれ、下方のものは二重堀切となっている。山頂の主郭は狭小な曲輪で祠が祀られており、前後と右側に腰曲輪が付随している。背後の尾根にも段曲輪群と堀切が2ヶ所に構築されている。尾根鞍部の堀切は二重堀切となっているが、かなり浅く痕跡的になってしまっている。
 以上が三島根小屋城の遺構で、曲輪の数こそ多いものの山城部はあくまで有事の際の詰城の位置付けで、技工性も見られない。久々の登城比高200mオーバーの山城だったが、遺構がどれも小規模であまり苦労が報われなかった。
鉄塚部の平場→DSCN2771.JPG
DSCN2789.JPG←謎の石積みと段曲輪群
背後尾根の堀切→DSCN2852.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.554766/138.757313/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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