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尻高城(群馬県高山村) [古城めぐり(群馬)]

DSCN3226.JPG←堀切と主郭
(2021年2月訪城)
 尻高城は、長尾尻高氏の居城である。平時の居館としての里城・並木城に対して、山上の詰城に当たる。1401年に白井城主長尾重国(景春)の家臣が築城し、2年後に完成すると、重国の3男重儀が城主となり尻高左馬頭を称した。尻高氏の事績については、並木城の項に記載する。

 尻高城は、赤狩川西岸の標高700mの「ゆうげい(要害の転訛)」と呼ばれる山上に築かれている。並木城の北東1.5kmの位置に当たる。南麓の小屋集落の最上段から山道が付いている。最初は幅広の尾根で、地形図の標高610m地点まで来ると、大手郭群の堡塁に至る。大手郭は前面に堀切があり、その上に腰曲輪を伴った数段の平場で構成された堡塁があり、最上段は櫓台の様な形状で、背後は切岸で区画されている。この堡塁の南西の支尾根にも段状に曲輪群が構築されているが、その先は自然地形となっていてどこまで曲輪としていたのかはよくわからない。大手郭群の先は急斜面の細い尾根道となり、これを高さ60m程登ると、山上の主城部に至る。主城部は、T字型の細尾根上に築かれている。最初に現れる南尾根は、先端に2段ほどの段曲輪を置き、その先はほとんど自然地形の細尾根となっている。その先に段差があって主郭に至る。主郭の西に降る尾根には、堀切2本と二重堀切が散発的に穿たれ、その西の峰に物見の小郭、更に西に小堀切が穿たれて城域が終わっている。この小堀切の内側には横長の石が間隔を空けて2つ並べられており、門跡の礎石であった可能性がある。また他の堀切には石積みも確認できる。一方、主郭の東には堀切を挟んで二ノ郭がある。二ノ郭には全部で5基の石祠が間隔を空けて置かれている。二ノ郭の先端は1段の腰曲輪があり、その先は急峻な細尾根となっている。また二ノ郭の南斜面には2段の帯曲輪が築かれている。以上が尻高城の遺構で、ネット上で見つけた『群馬の古城』の縄張図はちょっと不正確で、西尾根の遺構は縄張図に載っていない。堀切としてはこちらの方が深くしっかり穿たれている。いずれにしても大した兵数を置くことはできず、冬期の籠城も困難で、あくまで有事の際にだけ使用された城であることがうかがわれる。
大手郭群の段状曲輪→DSCN3123.JPG
DSCN3201.JPG←西尾根の門跡?の石
堀切沿いの石積み→DSCN3210.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.630726/138.906873/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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