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湯村山城(山梨県甲府市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN5038.JPG←主郭腰曲輪の石積み
(2021年2月訪城)
 湯村山城は、武田信虎が築いた山城である。『高白斎記』に1523年に信虎の命で築城されたことが明記されている。それに先立つ1519年8月~12月に躑躅ヶ崎館を築館して信虎は本拠を移し、1520年に要害城が、23年に湯村山城が立て続けに築城されている。このことは、躑躅ヶ崎館を中心とした府中防衛構想の一環として築城されたことを物語る。一方、信虎の築城以前からこの地に砦があったとの説もある。

 湯村山城は、躑躅ヶ崎館の西方2.3kmにある、標高446mの湯村山に築かれている。現在は東麓からハイキングコースが整備されており、地元の人が朝の運動で数多く登っている。城内は大きく3つの曲輪で構成されている。南に主郭・二ノ郭が東西に並び、その北側に三ノ郭が置かれている。『日本城郭大系』等の縄張図では、南西の曲輪を主郭としているが、南東の曲輪の方が高所にあるので、南東のものが主郭である。岩山を削って城としたため、各所に石積みが多数散在している。主郭・二ノ郭間は長い仕切り土塁で区画されている。主郭・二ノ郭の外周には土塁が築かれ、後部にも土塁が築かれている。二ノ郭では後部に枡形虎口が築かれ、虎口周辺には石積みが残っている。主郭・二ノ郭と三ノ郭の間は堀切で区画されている。三ノ郭には枡形虎口が堀切に接続する形で構築されているが、三ノ郭内部は岩が多く、物見以外に機能しない曲輪である。主郭の南東に虎口があり、その下方に2段ほどの腰曲輪が置かれ、塁腺に石積みがある。主郭・二ノ郭の南側にも腰曲輪が広がり、二ノ郭の西側には帯曲輪が築かれている。帯曲輪の西側下方には採石跡と思われる窪地があり、石塁もあるので遺構と勘違いしそうで紛らわしい。この他、三ノ郭の北側斜面に円弧状の腰曲輪が築かれて、尾根筋を防衛している。湯村山城は適度に整備されており、遺構が完存する一方で薮が少なく遺構が見やすい。
二ノ郭の枡形虎口→DSCN4962.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.684063/138.552318/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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