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谷村烽火台(山梨県都留市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN6434.JPG←烽火台跡のピーク
(2021年2月訪城)
 谷村烽火台は、郡内の領主小山田氏が築いた烽火台と考えられている。西麓の谷村には小山田氏の居城谷村城があり、1532年に小山田越中守信有が中津森館から谷村城に居城を移して以後、郡内地方の政治の中心地となった。構築時期は不明であるが、その立地は谷村防衛の上で欠くことのできない位置にあることから、小山田氏の勢威が強かった頃に、急を郡中に告げる烽火台であったと推測されている。

 谷村烽火台は、標高658mの蟻山(音岩、茶臼山、獅子岩などとも呼ばれる)に築かれている。ただでさえ狭い山頂には、現在電波塔・テレビ中継施設が所狭しと建てられており、主郭部の遺構はかなり改変を受けている。蟻山の登山道はいくつかあるようだが、北西の尾根筋から登るのがわかりやすい。登り口は尾根先端北側の金毘羅神社の脇にある。ここから登っていくと、尾根上に至るが、尾根先端付近は平場になり、側面には腰曲輪状の平場があり、遺構である可能性がある。またここから東に登っていくと、途中の標高562mの峰やその先に曲輪・堀切・物見台らしい地形も見られ、これらも遺構である可能性がある。もしこれらが本当に遺構であるとなると、かなり広い範囲を城砦化していたことになる。そのまま尾根伝いに登っていくと、標高620mの峰辺りから城域に入る。蟻山の北尾根には、物見台状のピークや細尾根の平場があり、途中に合計3本の堀切が穿たれている。主郭は蟻山山頂にあるが、前述の通り電波塔などが建っていて、その背後に当たる東側のピークが烽火台跡と現地表記されている。烽火台のピークから西に向かっては大きく地形が傾斜しており、そこに電波塔・テレビ中継施設が建っているが、建設の際に削平したのか、元々遺構として曲輪群があったのかはわからない。上段のテレビ中継施設の西側にわずかな石列・石塁があるが、遺構の可能性がある。主郭の北から東にかけて数段の腰曲輪が築かれている。東側では2段の腰曲輪の下に舌状曲輪が伸び、その先を堀切で区画している。その先は細尾根となっている。この他、主郭の南西にも腰曲輪がある可能性があるが、改変が多くはっきりしない。以上が谷村烽火台の遺構で、普請の形跡ははっきりしているが、他の郡内地方の烽火台と比べると堀切が比較的多い一方で、曲輪が小規模で少々見劣りする。『甲斐の山城と館』では小山田氏の要害城(詰城)との見解を示しているが、遺構の規模から考えると少々無理がある見解の様に思う。
北尾根の3つ目の堀切→DSCN6395.JPG
DSCN6446.JPG←腰曲輪

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.552471/138.916100/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

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  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世山城
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