SSブログ

恩地要害(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN0971.JPG←主郭背後の堀切
 恩地要害は、恩地城とも言い、大関氏の家臣益子但馬守信勝の居城と伝えられる。信勝は、宇都宮氏の重臣益子氏の一族と思われるが、天正年間(1573~92年)の末頃に益子を逃れて大関氏を頼って来て、この地を与えられて移り住んだと言う。

 恩地要害は、野上川南岸に連なる丘陵地の一角に築かれている。比高60m程で、北西に伸びる尾根上に城地がある。北西から林道が伸びているので、訪城は容易である。この林道は上まで登ると尾根を貫通しているが、これが恩地要害の堀切である。堀切の北西が主郭で、主郭南東端の堀切沿いには土塁が築かれている。また東には枡形虎口と思われる土塁が見られる。また主郭の堀切沿いの南側に段曲輪も見られる。しかし肝心の主郭はほぼ自然地形で、北端も切岸がなくダラダラと降っている。恩地要害は、あまり防備を固めた城館ではなく、益子氏が亡命者という立場上、強固に守りを固めた城館は必要なかったということなのかもしれない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.864446/140.153264/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


パーツから考える戦国期城郭論

パーツから考える戦国期城郭論

  • 作者: 西股総生
  • 出版社/メーカー: ワン・パブリッシング
  • 発売日: 2021/03/01
  • メディア: 単行本


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー