館野御前要害(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]
←丘陵西端部の腰曲輪状の平場
館野御前要害は、館野氏が築いた城と言われる。築城者は館野宝賢と伝えられるが、館野氏についても宝賢についても、その事績は不明である。
館野御前要害は、那珂川東岸の比高60m程の丘陵上に築かれている。ただ、本当にこの場所が要害跡なのか確証はなく、城巡りの先達「余湖くんのお城のページ」の記載に従った。丘陵の南に谷があり、そこを登っていく小道があるので、そこを途中まで登って丘陵に取り付いた。この丘陵は、後部は高台となっているが背後のくびれ部に堀切はなく、あまり城郭らしさが感じられない。ただ丘陵の南斜面には2段の帯曲輪らしい平場があり、丘陵の西端部にも腰曲輪らしい平場がある。但しこれらも遺構ではなく、植林や耕作で改変された地形である可能性もある。何しろ丘陵の内部は広い緩傾斜地で、全くの自然地形の様である。仮に城であったとしても、土豪の城館というよりは、軍団を駐屯させるための一時的な陣城の様に感じられた。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.837660/140.134875/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
館野御前要害は、館野氏が築いた城と言われる。築城者は館野宝賢と伝えられるが、館野氏についても宝賢についても、その事績は不明である。
館野御前要害は、那珂川東岸の比高60m程の丘陵上に築かれている。ただ、本当にこの場所が要害跡なのか確証はなく、城巡りの先達「余湖くんのお城のページ」の記載に従った。丘陵の南に谷があり、そこを登っていく小道があるので、そこを途中まで登って丘陵に取り付いた。この丘陵は、後部は高台となっているが背後のくびれ部に堀切はなく、あまり城郭らしさが感じられない。ただ丘陵の南斜面には2段の帯曲輪らしい平場があり、丘陵の西端部にも腰曲輪らしい平場がある。但しこれらも遺構ではなく、植林や耕作で改変された地形である可能性もある。何しろ丘陵の内部は広い緩傾斜地で、全くの自然地形の様である。仮に城であったとしても、土豪の城館というよりは、軍団を駐屯させるための一時的な陣城の様に感じられた。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.837660/140.134875/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城