田沢要害(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]
←龍蓋山の山頂(主郭?)
田沢要害は、歴史不詳の城である。恩地要害・山口館などと野上川沿いの沖積地を隔てて相対する位置にあり、常陸道や両郷道を脚下に見られる地点であることから、それらに備えた砦と推測されている。この地は天正年間(1573~92年)末頃まで伊王野城主伊王野氏の領地であったので、伊王野氏が築いた砦であろうか?
田沢要害は、標高370.9mの龍蓋山に築かれていると思われる。龍蓋(りゅうがい)とは即ち要害の転訛である。城郭関係のHPでは登山した情報は皆無であるが、登山関係のHPに情報があるので、それらを参考にして登城した。国道461号線から龍蓋山の南西麓に至る小道があり、それを谷にちょっと入った所で左の尾根に取り付いて登った。踏み跡はわかるかわからないか程度で、途中でほとんど消失してしまい、結局斜面を直登することになった。山頂部はほとんど自然地形の平場で、黒羽山の会が設置した「龍蓋山 371m」のプレートと三角点がある。山頂の南側にわずかに腰曲輪らしい平場がある他、東に続く尾根に段曲輪っぽいものが見られる。しかしいずれも普請はわずかであり、自然地形に近い。堀切もなく、結局龍蓋という名前以外に、ここが城砦跡という確証は得られなかった。単なる物見の砦であったのだろうか?
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.871038/140.160688/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
田沢要害は、歴史不詳の城である。恩地要害・山口館などと野上川沿いの沖積地を隔てて相対する位置にあり、常陸道や両郷道を脚下に見られる地点であることから、それらに備えた砦と推測されている。この地は天正年間(1573~92年)末頃まで伊王野城主伊王野氏の領地であったので、伊王野氏が築いた砦であろうか?
田沢要害は、標高370.9mの龍蓋山に築かれていると思われる。龍蓋(りゅうがい)とは即ち要害の転訛である。城郭関係のHPでは登山した情報は皆無であるが、登山関係のHPに情報があるので、それらを参考にして登城した。国道461号線から龍蓋山の南西麓に至る小道があり、それを谷にちょっと入った所で左の尾根に取り付いて登った。踏み跡はわかるかわからないか程度で、途中でほとんど消失してしまい、結局斜面を直登することになった。山頂部はほとんど自然地形の平場で、黒羽山の会が設置した「龍蓋山 371m」のプレートと三角点がある。山頂の南側にわずかに腰曲輪らしい平場がある他、東に続く尾根に段曲輪っぽいものが見られる。しかしいずれも普請はわずかであり、自然地形に近い。堀切もなく、結局龍蓋という名前以外に、ここが城砦跡という確証は得られなかった。単なる物見の砦であったのだろうか?
南の腰曲輪らしい平場→
←東尾根の段曲輪らしい平場お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.871038/140.160688/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城