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青木要害(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN1368.JPG←腰曲輪から見た堀切・二ノ郭・横堀
 青木要害は、室町時代後期にこの地の土豪青木三河守という武士が築いて居城としたと伝えられる。城巡りの先達「余湖くんのお城のページ」の情報によれば、永禄年間(1558~70年)頃に常陸の戦国大名佐竹義昭が武茂城を経由して白旗城に侵攻した際、小滝城を攻め落とすと青木要害は自落し、桜田要害の兵は降伏してきたと言う。その他の歴史は不明である。

 青木要害は、龍念寺の背後にそびえる標高290mの山の北東の尾根に築かれている。普通ならば山頂に主郭を置くところだが、この城では山頂ではなく、そこから降った尾根の途中に主郭置く珍しい縄張りとなっている。城郭関係HPで下調べした時にはこの事がよくわからず、またWebに載っている縄張図とスーパー地形との整合がよく掴めなかったため、城の縄張りがよくわからない中での訪城となった。山中での城の位置関係がわかっていなかったので、とりあえず龍念寺の墓地奥から山林の斜面に適当に取り付いて、山頂から南東に伸びる尾根に登った。この尾根には段曲輪や小規模な枡形虎口があり、城域の一部であったらしい。この尾根を登って山頂に至ると、ゴツゴツした岩場だらけで、岩の上に祠が置かれている。ここから西の尾根にも段曲輪があるが、これらは外郭に当たる。主城部は、山頂から北東に降ったところにある。ちょっと尾根を降ると浅い堀切が穿たれ、更に降っていくと深い堀切が現れる。これが主郭背後を分断する堀切で、ここから東側が主城部となる。
 青木要害は、大きく3つの曲輪で構成されている。尾根上に主郭を置き、堀切を挟んで東に扇形に開いた形状の二ノ郭を配置し、主郭の北東にも堀切を挟んで三ノ郭が配置されている。主郭は後部に土塁を築いているが、最高所は単なる物見台でほとんど居住性はない。また郭内は細尾根となって傾斜し、下方に末広がりの平場が2段築かれている。この平場が主郭の本体である。つまり主郭は、山形の砂子沢楯の二ノ郭と同様に、下方に主体となる平場を置き、その上には自然地形の斜面があって、最高所に櫓台(物見台)曲輪をそびえさせた構造となっている。主郭の北東には腰曲輪が築かれ、二ノ郭・三ノ郭に通じている。二ノ郭・三ノ郭はやや削平の甘い曲輪で、内部が傾斜している。この城で出色なのは、各曲輪の外周に廻らされた横堀とそこから落ちる竪堀である。まず主郭は、背後の堀切から主郭の尾根の南北両側に横堀が伸び、南側の横堀は直角に曲がって竪堀となって落ちている。また北側の横堀は、途中でクランクしており、そこから竪堀が落ちている。クランクの先の横堀は、主郭の下段平場の北側まで伸びて、先端で直角に曲がって竪堀となって落ちている。また主郭の竪堀状虎口とも繋がっている。二ノ郭も北側に延々と横堀を穿っており、先端近くでクランクすている。堀の外側の土塁は、東端部が北の谷に向かって緩斜面となって広がり、ここに腰曲輪群が築かれている。また二ノ郭南東角には堀切が穿たれ、二ノ郭南側の帯曲輪から竪堀が落ちている。三ノ郭も北西側に横堀が延々と穿たれており、やはり先端近くでクランクしている。これらの横堀はいずれも堀切と繋がっている。三ノ郭の先端には、段曲輪群が築かれており、横堀はその横を竪堀となって落ちている。尚、下山時に気が付いたが、山頂から南東に伸びる尾根の先端付近(寺の背後)にも堀切が穿たれている。
 以上が青木要害の遺構で、横堀のオンパレードで、要所で横矢掛りを設け、堀切・竪堀を効果的に組み合わせている。規模は異なるが、まるで岩櫃城の様で、那須地域でも屈指の山城である。
主郭の横堀・堀切→DSCN1309.JPG
DSCN1455.JPG←主郭南側の竪堀
二ノ郭の横堀→DSCN1377.JPG
DSCN1327.JPG←堀切と三ノ郭
三ノ郭の横堀→DSCN1352.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.913460/140.142578/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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