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今石動城(富山県小矢部市) [古城めぐり(富山)]

DSCN1603.JPG←南腰曲輪から見た本丸
 今石動城は、前田利家と佐々成政が交戦していた1585年に、前田氏によって新造された城である。利家の弟前田秀継・利秀父子が津幡城から移って城を守った。同年8月に成政が豊臣秀吉に降伏した後、秀継は木舟城の城主となり、城下町を整備したが、11月に起きた天正大地震で城が潰れ、秀継は夫人と共に亡くなった。翌年利秀は、木舟城から今石動城に居城を移し、城下町を建設した。しかし1593年に病没すると、翌年前田利長は今石動城を廃城とした。こうした歴史から、築城から廃城までの期間が10年程と短く、後の改修の可能性が低いため、天正期の前田氏の山城の形を留めた典型例とされる。

 今石動城は、標高186mの城山に築かれている。主郭を中心に北・北東・南・南西に伸びる四方の尾根上に多数の曲輪群を築いている。主郭の南西下方の車道に解説板があり、車で行けるので訪城はたやすい。散策路もあるが、整備されているのは本丸と南の段曲輪一郭だけで、他は未整備の薮に覆われているので、なかなか遺構の踏査が大変である。基本的には尾根上に切岸だけで区画された曲輪群を連ねただけで、堀切はわずかしかない。その堀切も大きなものではないが、北尾根の付け根にある堀切では明確な竪堀が落ちている。虎口も比較的平易な作りで、本丸北東に張り出した虎口郭が築かれているが、巧妙な枡形虎口など導入系の先進技術は見られない。加越国境城塞群でもそうだが、どうも前田氏の軍団は、佐々氏などと比べるとあまり先進的な築城技術を持っていなかった様に見受けられる。
堀切から落ちる竪堀→DSCN1490.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.683228/136.858621/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国の北陸動乱と城郭 (図説 日本の城郭シリーズ 5)

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