横越館(山形県白鷹町) [古城めぐり(山形)]
←高徳寺背後の土塁跡?
横越館は、平安時代末期に京都の藤原安親が奥州藤原氏を頼って出羽に下向し、庄官として横越の地に構えた居館と伝えられ、以後横越氏を称したと言う。横越氏は安親から8代目の成宗の時に鮎貝城を築いて移り、鮎貝氏を称したと伝えられている。
横越館のあった場所には現在高徳寺が建ち、周囲は耕地化されているため、遺構はほとんど湮滅している。寺の周囲にわずかに土塁らしい遺構が見られるほか、畑周囲の水路は見るからに堀跡の様な形状をしているので、おそらく遺構なのであろう。しかしそれ以外には、居館としての痕跡は皆無である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.178088/140.046458/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
横越館は、平安時代末期に京都の藤原安親が奥州藤原氏を頼って出羽に下向し、庄官として横越の地に構えた居館と伝えられ、以後横越氏を称したと言う。横越氏は安親から8代目の成宗の時に鮎貝城を築いて移り、鮎貝氏を称したと伝えられている。
横越館のあった場所には現在高徳寺が建ち、周囲は耕地化されているため、遺構はほとんど湮滅している。寺の周囲にわずかに土塁らしい遺構が見られるほか、畑周囲の水路は見るからに堀跡の様な形状をしているので、おそらく遺構なのであろう。しかしそれ以外には、居館としての痕跡は皆無である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.178088/140.046458/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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