SSブログ

上熊野城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN6781.JPG←神明社背後に残る土塁
 上熊野城は、戦国後期に二宮左衛門大夫の居城であったと伝えられる。二宮氏は、南北朝期に元越中守護桃井播磨守直常に従って足利尊氏と戦い、1355年に直常の身代わりとなって討死した二宮兵庫の後裔とされる。戦国後期の二宮氏は初め、越中守護代神保長職に仕えた。1571年、越後上杉方の武将村田弥三郎・安達清蔵の拠る津毛城を攻撃したが敗れたと言う。その後、1574年には上杉氏に属した。1578年、上杉謙信の急死後、織田信長方の神保長住が越中侵攻を開始すると、二宮氏は織田方に服属して、同年5月17日に長住より知行を安堵され、更に同年7月8日には信長からも知行安堵の朱印状を与えられた。浄蓮寺の寺伝では、城は上杉方の攻撃により焼かれ、後に二宮一族が城跡に浄蓮寺を建立したと言う。1582年の織田信長の横死により、劣勢にあった上杉勢の反攻が始まっているので、上熊野城はその攻防の中で落城し、二宮氏も滅亡したものだろうか。

 上熊野城は、現在の神明社と浄蓮寺の境内一帯にあったと推測されている。改変を受けているため遺構はあまり明瞭ではないが、神社背後の土盛りは残存土塁とされている。また南側の水路はかつての堀跡であるらしい。遺構はわずかであるが、城の解説板が建つほか、浄蓮寺の由緒書きにも城の歴史が記されている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.619119/137.222908/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集 1(中央部編(富山市・中新川郡

越中中世城郭図面集 1(中央部編(富山市・中新川郡

  • 作者: 佐伯哲也
  • 出版社/メーカー: 桂書房
  • 発売日: 2024/04/18
  • メディア: 単行本


タグ:中世平城
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント