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萩倉砦(長野県下諏訪町) [古城めぐり(長野)]

DSCN3325.JPG←堀切と主郭切岸・帯曲輪
 萩倉砦は、下の城から谷一つ挟んだ東の尾根上に築かれた砦である。歴史は皆目わからないが、その位置関係から下の城・上の城と密接に関連した城砦であったと推測されている。

 萩倉砦は、下諏訪社中学校の背後の尾根に築かれている。南北2郭から成る小規模な城砦であるが、事前の情報では城域は立入禁止になっているとのことだったが、ダメ元で南麓から山道を登ってみたら、北の二ノ郭は規制がなかった。但し南の主郭は立入禁止になっていたので、二ノ郭周辺だけ踏査した。二ノ郭はほとんど自然地形に近いが、背後に当たる北尾根と、南の主郭と、それぞれの間に堀切を穿っている。しかし堀切はいずれも浅く、特に北のものはわずかな窪地となっているだけである。主郭との間の堀切は、主郭の土塁・切岸が明瞭であるため、北の堀切よりは形状が明確である。また主郭の西側には、二ノ郭西側から続く帯曲輪が築かれているが、立入禁止のため、その先は未確認である。いずれにしても簡素な城砦で、東の中山道筋を押さえるため、下の城の死角を補完する目的で築かれたと思われる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.090127/138.079294/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


「城取り」の軍事学

「城取り」の軍事学

  • 作者: 西股総生
  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2013/08/29
  • メディア: Kindle版


タグ:中世山城
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上の城(長野県下諏訪町) [古城めぐり(長野)]

DSCN3220.JPG←北側の横堀・帯曲輪
 上の城は、伝承では甲斐の武田信玄24将の一人、横田備中守の居城と言われるが、事実かどうか疑問である。1518年に上社・下社の抗争があり、下社の金刺昌春の「萩倉の要害」が自落したとの記事があるが、この萩倉の要害が上の城のことであるとの説が近年有力になっている。萩倉要害の自落の結果、金刺氏は没落し、昌春は武田氏を頼って甲府に逃れた。それ以後の上の城にまつわる歴史ははっきりしない。尚、この城の南方下方の尾根には下の城があり、両城が一体となって機能していたことが推測され、下の城に対する詰城となっていた可能性がある。

 上の城は、標高1060mの山上に築かれている。下の城から上の城まで登道があるので、迷うことなく行くことができる。上の城は、曲輪は大きいがほぼ単郭の城で、下の城とは全く築城思想が異なっている。主郭の外周に二重(一部は帯曲輪状)に土塁・横堀を廻らした形態で、まるで古代のチャシの様である。横堀は浅く、あまり強く防御性を意識したようには感じられない。これらの横堀は、北東の尾根筋も穿つ堀切を兼ねている。この堀切部分では、主郭が尾根側にやや突出し、そこに横から主郭内に進入するような感じになっていて、形状があまりはっきりしないが枡形虎口を形成していたようにも感じられる。主郭内は平坦な地山のままで、外周が一段低く帯曲輪状になっている。この他、南東斜面には水の手と思われる腰曲輪が2段あり、南尾根には竪堀らしい地形がある。以上が上の城の遺構で、技巧性のない古い形態の縄張りで、戦国後期まで使われた城とは考えにくい様に感じられた。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.096768/138.078468/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


2時間で分かる諏訪大社の歴史と日本の政祭構造 (八洲文庫)

2時間で分かる諏訪大社の歴史と日本の政祭構造 (八洲文庫)

  • 作者: 矢島景介
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2022/10/24
  • メディア: Kindle版


タグ:中世山城
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下の城(長野県下諏訪町) [古城めぐり(長野)]

DSCN3283.JPG←横堀状の登道
 下の城は、歴史不詳の城である。諏訪大社下社の重要な場所であったことから、下社大祝の金刺氏かその一党によって築かれた可能性がある。尚、この城の北方の山上には上の城があり、両城が一体となって機能していたことが推測される。

 下の城は、下諏訪社中学校の北西の尾根上に築かれている。この尾根の西下を通る車道脇から登道が付いており、それを登っていくとすぐに前衛の段曲輪群が現れる。ここには土塁や竪堀が見られ、登山道はこの中を堀底道のような形で通っている。その上には三ノ郭群が築かれている。三ノ郭群も段状の平場が続き、方形の小型の櫓台や空堀で囲まれた大土塁、竪堀などが見られる。その上方に自然地形の斜面がしばらくあって、その先に主郭群が築かれている。主郭は縦長の曲輪で低土塁を築き、背後に堀切を穿っている。また東側側方には横堀状に登道が通っている。また主郭の南東に伸びる尾根に段曲輪群が築かれている。主郭の後ろには二ノ郭がある。ニノ郭はほとんど自然地形で削平甘いが、後部に土塁囲郭が置かれている。二ノ郭の背後も土橋の架かった堀切が穿たれて、城域が終わっている。現在の登山道は、堀状になっている部分が散見されるので、元々の城道であったらしい。以上が下の城の遺構で、曲輪群は明確であるものの全体的に求心性がやや乏しい縄張りで、縄張りにも古さを感じさせる。武田氏侵入時代の戦国期には、あまり使われなくなっていたように思える。
二ノ郭後部の囲郭→DSCN3154.JPG
DSCN3160.JPG←二ノ郭背後の堀切・土橋

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.091739/138.076515/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館〈第6巻〉諏訪・下伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

信濃の山城と館〈第6巻〉諏訪・下伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/08/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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小山芳姫の墓(栃木県栃木市) [その他の史跡巡り]

DSCN3072.JPG
 小山芳姫は、下野の名族小山義政の正室である。義政は、宇都宮基綱と下野守護職を巡って長年対立しており、1380年に遂に宇都宮領に軍勢を率いて進軍し、裳原で両軍は激突した。この戦いで宇都宮基綱は討死した。義政のこの行為を、勝手に戦を始めたとして咎めた2代鎌倉公方足利氏満は、関東の諸武家に催促状を発し、大軍で小山氏討伐を開始した。所謂「小山義政の乱」で、その経緯は鷲城の項に記載する。芳姫は、侍女一人を連れて最後の拠点粕尾城に立て籠もった夫義政の元に向かう途中、大事に持っていた乾飯の袋を宝の袋と間違われ、案内役の者に山中で殺されたと伝えられる。

 小山芳姫の墓は、谷倉山から西に伸びる尾根の南の谷にある。芳姫が殺された場所と言われ、標高340m程の場所で、麓から山道(寒沢林道)を30分程かけて登った先にある。5~6年ほど前に台風だか豪雨だかで山道が崩れて登れなくなったと聞いていたが、Google Mapの口コミでここ1~2年で登っている人がいたので、今回意を決して登った。山道は途中に何回も案内板が出ているので、あまり迷わずに登ることができる。ただ、途中道が崩れてる場所が数ヶ所あり、荒れている所もあるが、さほど困難ではない。墓は刻文によれば享保8年(1723年)に建てられたもので、脇には墓塔上部の残欠2基と小祠もある。こんな山奥の高所なのに、結構人が来ているらしく、真新しい花とお供物が飾られていた。麓には小山芳姫を祀った御堂があり、そこには以前に訪れているが、山中のお墓には7年越しでようやく登ることができ感慨深い。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.487307/139.632121/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東公方足利氏四代―基氏・氏満・満兼・持氏

関東公方足利氏四代―基氏・氏満・満兼・持氏

  • 作者: 田辺 久子
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2002/08/01
  • メディア: 単行本


タグ:墓所
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妙見寺城 小城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2982.JPG←主郭前面の円弧状堀切
 妙見寺城 小城は、HP「新 栃木県の中世城郭」の管理人masakiさんが寄せられた情報を元に現認した城である。「新 栃木県の中世城郭」では「妙見寺333m峰」と呼んでいるが、ここでは長野県によくある城名に倣って、333mの峰に築かれた城を「妙見寺城 小城」、南東の尾根先端部には築かれた別城を「妙見寺城 大城」と呼ぶことにする。

 妙見寺城 小城は、妙見寺の北西にある標高333mの峰に築かれている。東麓近くの大城から尾根伝いに登ってくるのが大手と考えられる。即ち、小城は大城に対する詰城に相当すると考えられる。小城は東西2郭から成り、西が主郭、東が二ノ郭である。主郭・二ノ郭共に外周に帯曲輪1段を廻らしている。二ノ郭の北側の帯曲輪には帯曲輪を分断する竪堀が穿たれている。二ノ郭後部には土塁が築かれ、主郭との間は主郭帯曲輪がそのまま円円弧状堀切となって分断している。主郭帯曲輪は主郭後部でも円弧状横堀となって防御している。この前後が堀切・横堀となり、そのまま帯曲輪と繋がっている形態は、伊釜山城とよく似ている。主郭は東西に長い長円形の曲輪で、後部にわずかに土塁を築いている。郭内はきれいに削平されている。この他、主郭の北西・南西の尾根と、二ノ郭の北東の尾根には、それぞれ小堀切が穿たれている。以上が妙見寺城 小城の遺構で、小さな城ではあるが普請はしっかりしており、重要な役目を負っていたことが伺われる。
 尚、大城、小城を結ぶ尾根の途中に竪堀状の地形があり、masakiさんは木戸跡と推測している。しかし、堀が尾根を斜めに横切り、削り残された尾根が明確な土橋になっておらず広幅なままのため、私は伐採木の搬出路などの跡で、城郭遺構ではないと考えている。
主郭後部の円弧状横堀→DSCN3005.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.524372/139.653289/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


栃木県の歴史散歩

栃木県の歴史散歩

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/04/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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妙見寺城 大城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2863.JPG←帯曲輪
 妙見寺城は、HP「新 栃木県の中世城郭」の管理人masakiさんが発見した城である。粟野城の後方を押さえる位置にあるので、粟野城と何らかの関係があったことが推測される。尚、西の山上(標高333m)にも山城がある。ここでは長野県によくある城名に倣って、下の城を「妙見寺城 大城」、上の城を「妙見寺城 小城」と呼ぶことにする。

 妙見寺城 大城は、妙見寺背後の比高70m程の山上に築かれている。妙見寺奥の墓地脇の山林から斜面を直登して訪城した。尾根上に、先端から主郭・二ノ郭・三ノ郭を東西に連ねた連郭式で、各曲輪間は堀切で分断している。主郭はきれいに削平されており、前面には一段低い小郭を配し、前面に3段の帯曲輪を廻らしている。主郭後部にはしっかりした土塁が築かれており、土塁の南には虎口が築かれている。二ノ郭は削平がやや甘いが、やはり後部に土塁が築かれている。三ノ郭は北西角に一段低い腰曲輪を築き、西尾根には少し降った先に小堀切が穿たれている。曲輪間を分断する堀切は、それほど大きなものではないがしっかりしたものである。この他、前述の帯曲輪群の内、2段目の帯曲輪は南側で三ノ郭まで伸びており、この帯曲輪に向かって前述の堀切が落ちてきている。また上段の帯曲輪では、南側に帯曲輪を分断する竪堀が穿たれている。大城は、大きな城ではないが、普請はしっかりしており、よくこれだけの城が未発見でいたものだと感心した。尚、城内の木は根元に網が巻かれるなど整備されているので、もしかしたら地元では城があったことを知っている人がいるかもしれない。
主郭背後の堀切と土塁→DSCN2901.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.522768/139.660177/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

  • 出版社/メーカー: ワン・パブリッシング
  • 発売日: 2022/03/10
  • メディア: 大型本


タグ:中世山城
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久野寄居城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2800.JPG←主郭の手前にある小郭
 久野寄居城は、杉浦昭博氏が近年発見した城である。位置的には諏訪山城粟野城の中間にあり、また北東には下南摩城を望むことができる。守りが固く、争奪の場ともなったこれらの山城が周囲にあることから、①繋ぎの城、②出城、③城攻めのための向城、などの可能性が考えられよう。

 久野寄居城は、久野地区にある小松神社南方の比高65m程の山上に築かれている。明確な登道はないが、北西麓にある民家門前を山側に入る小道があり、その道から動物除け柵内に入り、北西尾根に取り付いて登攀した。この尾根を登っていくと、小堀切と前衛の小郭があり、その先に帯曲輪を廻らした主郭がある。細尾根に築かれた城なので主郭は細長く、大した広さを持っておらず、削平も甘い。主郭の背後には堀切が穿たれ、その先にちょっと進んだところにも、中央に土橋を削り残した堀切が穿たれている。これら2本の堀切の西側には両者を繋ぐように帯曲輪が築かれている。明確な堀切は以上の2本であるが、主郭の後部にも浅い窪みが2ヶ所あり、これらも堀切であったように思われる。しかしいずれにしても普請はわずかで、臨時的に築かれた城だったように感じられた。
主郭背後の堀切→DSCN2826.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.509196/139.688823/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦乱でみるとちぎの歴史:「とちぎ」の源流を探る

戦乱でみるとちぎの歴史:「とちぎ」の源流を探る

  • 出版社/メーカー: 下野新聞社
  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世山城
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諏訪山北城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2577.JPG←西郭群の出枡形の虎口
 諏訪山北城は、HP「新 栃木県の中世城郭」の管理人masakiさんが発見した城である。諏訪山城の北の尾根続きにあり、縄張り面の共通点から諏訪山城の北方の防衛拠点または出城として、諏訪山城を築いた皆川氏系の勢力が築いた可能性が高いと思われる。

 諏訪山北城は、前述の通り諏訪山城から北に上る尾根の北端に築かれている。八洲カントリークラブというゴルフ場に行く車道が西麓にあり、その脇から西の谷戸に入って訪城した。この谷戸も城内で、段々に整地された削平地が奥まで続き、虎口群で厳重に防御され、最上段の曲輪は尾根上鞍部に築かれた二ノ郭前面の堀切に繋がっている。二ノ郭の北側には岩山がそびえ、その上に主郭がある。主郭はL字型をした細長い曲輪で、西端に土塁を伴った小型の枡形虎口が構築され、虎口の前面には側方に竪堀を穿って土橋状に動線を狭めている。主郭の北には尾根に沿ってわずかな段差で区画された小郭群が築かれ、その先は急崖となっている。主郭の西には細尾根が続き、途中に物見の様な平場があり、先端に小郭と小堀切が穿たれている。この堀切は、南斜面を竪堀となって長く伸び、前述の西谷戸の曲輪群の脇に落ちている。二ノ郭前面には土塁・虎口が築かれ、その先の堀切は横矢のクランクをして、西下の腰曲輪に繋がっている。二ノ郭の南には、堀切を挟んで西郭群の腰曲輪がある。この腰曲輪の上には尾根に築かれた西郭がある。西郭は堀切で東西2郭に分かれ、その西側上方には小山がそびえている。この小山はほとんど自然地形に近いが、周りに腰曲輪を伴っており、物見の堡塁であったらしい。堡塁の北西の尾根には、小郭や竪堀が見られる。前述の西郭群の腰曲輪は、西郭の東から南にかけてL字型に伸びている。このL字の折れ曲がりの部分に、出枡形を設けた二重枡形虎口が築かれている。出枡形の外周下方には横堀が廻らされ、虎口の動線は横堀に通じている。横堀は枡形に沿ってL字に曲がっており、東側は鞍部を遮断する堀切となっている。更に東にもう1本堀切が連続してあり、二重堀切となっている。この二重堀切から東にも小道が伸び、東郭に通じているが、東郭は立入禁止の表示があるので、無断では入れない。東郭入口は尾根と土塁で虎口を構成しているようで、その先に平場が広がっているのが見える。masakiさんの縄張図によれば、東端に二重堀切があるらしい。この他、西郭群の南の谷戸にも段々に整地された平場群があり、西郭群の横堀は、ちょうどこの谷戸を登ってくる敵を迎撃できるように構築されているのがわかる。
 以上が諏訪山北城の遺構で、かなり明確な城郭遺構で、よくこれだけのものが知られずに残っていたものだと感心する。横堀の防御線は諏訪山城と同じ築城思想であるが、その一方で北城単体としては縄張りに求心性がない。諏訪山城の北方を守る出曲輪群という趣で、南の本城と合わせて諏訪山城と言ったのかもしれない。
二ノ郭のクランクする堀切→DSCN2569.JPG
DSCN2616.JPG←出枡形外周の横堀
主郭の枡形虎口→DSCN2706.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.506765/139.705088/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


タグ:中世平山城
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茶臼山城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2495.JPG←南の腰曲輪
 茶臼山城は、磯城とも言い、宇都宮氏の家臣山形刑部の城であったと伝えられる。1588年、佐竹氏の後援を受けた宇都宮国綱は皆川領に大軍を率いて侵攻し、西方城と磯城に陣を敷いた。一方、皆川城主皆川広照は諏訪山城まで進出して迎え撃ったが城を陥とされ、布袋ヶ岡城に落ち延びてこれに拠って防戦したと言う。

 茶臼山城は、小藪川向かって西から突き出た比高40m程の丘陵上に築かれている。明確な登城道はなく、北麓から取り付けそうな場所を見つけてアプローチした。丘陵基部を二重堀切で区画しているが、堀切は浅く、大した防御性は持っていない。また城内の曲輪は、切岸がはっきりしない部分もあり、主郭の範囲もあまり明確ではない。その中では南の腰曲輪だけは比較的明瞭である。あまり積極的な普請をしていない感じの城で、恒常的な城砦ではなく、臨時的な陣城という感じである。
浅い二重堀切→DSCN2518.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.501883/139.743497/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世の名門 宇都宮氏

中世の名門 宇都宮氏

  • 出版社/メーカー: 下野新聞社
  • 発売日: 2018/06/14
  • メディア: 単行本


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山形刑部館(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2466.JPG←空堀
 山形刑部館は、宇都宮氏の家臣で茶臼山城主山形刑部が、江戸時代になってから移り住んだ館と伝えられる。現在もご子孫の宅地となっているようで、ほとんど内部探索はできないが、宅地北側に広がる屋敷林の北西の墓地脇から林の中を覗いたところ、空堀が確認できた。しかし遺構の全容はよく分からなかった。尚、北西には磯前田館が隣接している。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.489739/139.745750/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国大名宇都宮氏と家中 (岩田選書「地域の中世」 14)

戦国大名宇都宮氏と家中 (岩田選書「地域の中世」 14)

  • 作者: 江田 郁夫
  • 出版社/メーカー: 岩田書院
  • 発売日: 2014/03/01
  • メディア: 単行本


タグ:居館
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磯前田館(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2443.JPG←南西の空堀
 磯前田館は、歴史不詳の城館である。民家の周囲に土塁と空堀が残っているが、北東の土塁は江戸時代以降のものであるらしい。南西の空堀は往時の雰囲気をよく残しているが、栃木の田園地帯にはこうした構えの農家が多く、本当に中世まで遡る遺構なのかどうかは俄には判断し難い。ここでは『鹿沼の城と館』に基づいて、城館遺構として記載しておく。尚、すぐ南東には山形刑部館が隣接している。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.490895/139.744592/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


栃木県の歴史散歩

栃木県の歴史散歩

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/04/01
  • メディア: 単行本


タグ:居館
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藤江堀之内(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2438.JPG←北東の土塁
 藤江堀之内は、歴史不詳の城館候補遺構である。城館候補遺構とは、「断定はできないが、城館の可能性を残しているもの」のことで、北陸地域の中世城郭を調査している佐伯哲也氏が提唱している呼称である。
 藤江堀之内は、小河川の南に接した平地にあり、現在は畑と宅地となっている。堀之内地名が残る民家の北東の藪の中に土塁がわずかに残っているだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.497623/139.764183/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦乱でみるとちぎの歴史:「とちぎ」の源流を探る

戦乱でみるとちぎの歴史:「とちぎ」の源流を探る

  • 出版社/メーカー: 下野新聞社
  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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永林寺館・荒屋敷(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2418.JPG←寺背後の土塁と空堀
 永林寺館・荒屋敷は、歴史不詳の城館である。
 永林寺館は、極瀬川南の平地にあり、永林寺背後に当たる北側にL字型の土塁と空堀が残っている。この土塁の北側が館跡であったと推測されている。また寺の西にも二重土塁と空堀があるが、これは寺の獣土手で北の沢から水を引いていたと伝わっており、城館遺構ではないらしい。
 荒屋敷は、永林寺境内の西に隣接しており、石川家の宅地一帯が館跡であったと言う。屋敷跡の大半は空き地と林になっており、遺構は特に見られない。かつては堀があったらしいが、現在は湮滅している。
石川城の程近くにあるが、関連もわかっておらず、謎の城館である。
荒屋敷の現況→DSCN2427.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:【永林寺館】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.523044/139.808943/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【荒屋敷】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.522027/139.807742/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


栃木県の歴史散歩

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  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/04/01
  • メディア: 単行本


タグ:居館
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野本氏館(埼玉県東松山市) [古城めぐり(埼玉)]

DSCN2382.JPG←境内北東の櫓台
 野本氏館は、鎌倉幕府の御家人野本氏の居館である。野本氏は、平安時代の公卿藤原基経の家の警護をしていた片田元親の子基員が、武蔵国野本に移り住んで野本左衛門を称したのに始まる。基員は源頼朝の信頼が厚かった。また基員の養子時基は、押垂に居住して押垂氏を名乗り、1213年の和田合戦や1221年の承久の乱における宇治川の戦いなどで軍功を上げたと言う。尚、一説には、後に鎮守府将軍に任ぜられた平安時代の武将藤原利仁が、武蔵守であった時の居館であったとも言われ、利仁の後裔を称した基員は、利仁の故地に住んだとも言う。

 野本氏館は、現在の無量寿寺の地にあった。寺の本堂の北側には土塁と空堀が残っている。北東角は高く盛り上がっており、櫓台であったと考えられている。櫓台の外側にも土塁っぽい土盛りがあり、二重土塁であった可能性がある。この他、本堂西側には墓地が広がっているが、墓地の一部が南北に一筋盛り上がっている部分があり、土塁の名残りを残している。尚、館跡の南には、藤原利仁に由来する名を持つ将軍塚古墳があり、円丘には利仁神社が建っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.018741/139.412191/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

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岸田氏屋敷(埼玉県鶴ヶ島市) [古城めぐり(埼玉)]

DSCN2339.JPG←屋敷跡付近の現況
 岸田氏屋敷は、戦国時代に扇谷上杉氏に仕えた岸田正春の居館である。河越夜戦で主君扇谷上杉朝定が敗死すると、正春はその遺児を引き取り岸田正信と名乗らせて養育したと言う。

 岸田氏屋敷は、正音寺の西方にあったらしい。しかし資料不足で、正確な場所がよく分からなかった。遺構もあるのかないのか不明である。尚、前述の正音寺は、1555年に岸田正春が創建したと伝えられ、正春の墓が残っている。
岸田正春の墓→DSCN2342.JPG

 お城評価(満点=五つ星):ー(場所が分からなかったので評価なし)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.940099/139.413264/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    (推定地)


扇谷上杉氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

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