SSブログ

鉄砲池古戦場(岐阜県中津川市)

DSCN5978.JPG←鉄砲池と解説板
 鉄砲池古戦場は、1583年に苗木城主苗木遠山氏と金山(兼山)城主森氏との激戦地である。1582年の武田氏滅亡・織田信長横死後、織田氏配下の諸将による勢力争いが激しく行われた。翌83年、豊臣秀吉方に付いた金山城主森長可は東濃に勢力を伸ばそうと、配下の岩村城代各務兵庫を大将として遠山友忠・友政父子の拠る苗木城攻略を図った。これは法泉寺坂の戦いと呼ばれ、中でも「遠の巣」付近は両軍の最も激しい攻防が繰り広げられた。森勢はこの合戦で敗退したが、体制を整えて同年5月に再度侵攻した。この再戦で苗木城は落城したが、両軍ともに多数の戦死者が出て、多くの屍がこの池に沈められたと伝えられる。戦乱が収まった後、池の中から多数の鉄砲玉が出てきたことから、この池は「鉄砲池」と呼ばれるようになったと言う。城を攻略された友忠・友政父子は、徳川家康を頼って浜松に逃れた。

 鉄砲池古戦場は、苗木城西方の丘陵地帯の只中にある。現在は小さなため池しかないが、道路改良等で池の範囲が著しく狭められてしまったらしい。他の地域ではおそらく全く知られていない合戦だが、苗木遠山氏の命運に関わる重要な合戦であった。しかし苗木遠山氏は居城を奪われて没落したかに見えたが、徳川家康を頼ったことで運が開け、関ヶ原合戦の一連の動きの中で苗木城の奪還に成功して近世大名に返り咲き、そのうえ江戸時代を通して一度も移封とならずに若年寄まで務めるほど幕府の信任を受ける家柄となった。何がどう転ぶかわからない、歴史の不思議がここにはある。

場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.531502/137.431390/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関ヶ原合戦全史 1582-1615

関ヶ原合戦全史 1582-1615

  • 作者: 渡邊 大門
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2021/01/25
  • メディア: 単行本


タグ:古戦場
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント