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向田城(栃木県那須烏山市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8363.JPG←仲城(主郭)後部の櫓台
 向田城は、仲館、仲城とも呼ばれ、この地の豪族向田氏の本拠と考えられている。『那須文書』等から享徳年間(1452~55年)・文明年間(1469~87年)頃に使用されていたと推測されている。

 向田城は、那珂川の支流荒川南岸の比高30m程の段丘上に築かれている。国道294号線のすぐ東側にあり、城内は大きく2段の平場に分かれている。主郭に当たる上段の平場は仲城と呼ばれ、菱形の形状をしている。郭内は宅地や耕地となっているが、南端に一段高くなった墓地があり、往時の櫓台であった可能性がある。二ノ郭に当たる下段の平場は北城と呼ばれ、こちらも宅地と耕地になっている。北城の南辺部はわずかに高くなっており、仲城の腰曲輪に相当する平場と考えられる。その上には仲城の切岸がよく残っており、仲城北端部はやや北側に突き出て横矢を掛けている。また北城の西には仲城の切岸に沿って空堀が残っている。以上が向田城の状況で、宅地や耕地で改変されているものの、往時の雰囲気をよく残している。
腰曲輪と仲城切岸→DSCN8385.JPG
DSCN8376.JPG←北城西部に残る空堀
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.618800/140.155495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世の下野那須氏 (岩田選書 地域の中世)

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  • 作者: 義定, 那須
  • 出版社/メーカー: 岩田書院
  • 発売日: 2017/06/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世平山城
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中城(栃木県益子町) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8353.JPG←堀跡の畑と主郭跡の段差
 中城は、塙城とも言い、建武年間(1334~8年)に宇都宮氏の家臣塙能登守が築いたとされる。塙氏の事績は不明であるが、応永年間(1394~1428年)の城主として塙能登守利政の名が伝わっている。

 中城は、春日神社の南西に広がる畑地にあった。昭和20年代の航空写真を見ると、周囲を明確な堀跡の畑で囲まれた、ややひしゃげた形の長方形の曲輪が確認できる。これを現在の航空写真と照合すると、南西部の堀跡が残存しているのがわかる。実際に現地で確認すると、主郭部は堀跡の畑よりも一段高い微高地となっている。しかしそれ以外の部分は、堀は完全に埋められて段差すら見られない。かなり残念な状況であるが、春日神社の社伝に塙能登守の事績が触れられており、その歴史を今に伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.464160/140.081509/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


下野の中世を旅する

下野の中世を旅する

  • 作者: 江田 郁夫
  • 出版社/メーカー: 随想舎
  • 発売日: 2020/10/08
  • メディア: 単行本


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石並城(栃木県益子町) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8344.JPG←曲輪の切岸か?
 石並城は、益子城の出城である。宇都宮氏麾下の勇猛な軍事集団、紀清両党の一翼を担った益子氏の重臣佐藤氏の居城とされる。佐藤氏は、源義経の家臣として有名な佐藤継信の裔を称していたらしい。鎌倉後期の1304年に佐藤備中守が築城したと言う。1589年に益子氏が滅亡すると、廃城となった。

 石並城は、小貝川東岸の沖積地を望む台地先端部に築かれている。この台地を含んだ丘陵の北東端には益子城があり、益子城の後背部を防衛する出城であったことが容易に想像できる位置にある。昭和20年代の航空写真を見ると、台地上に方形の曲輪らしい区画が見られ、これが城跡であったと思われる。しかし現在は、採土や宅地造成で破壊され、遺構はほぼ湮滅している。わずかに民家の敷地が周囲より高くなっており、曲輪の切岸らしい跡が見られるだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.456636/140.089127/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


栃木県謎解き散歩 (新人物往来社文庫)

栃木県謎解き散歩 (新人物往来社文庫)

  • 出版社/メーカー: 新人物往来社
  • 発売日: 2012/08/07
  • メディア: 文庫


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峰高城(栃木県真岡市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8329.JPG←主郭跡付近の現況
 峰高城は、天正年間(1573~92年)に宇都宮城主宇都宮広綱に仕えた豊田若狭守綱斎が、物井を領して築城したと伝えられる。綱斎の没後は長斎が継いだが、1597年に宇都宮氏が改易となると廃城となり、豊田氏は帰農したと言う。

 峰高城は、桜町陣屋に程近い峰高集落付近に築かれていた。四重の堀で囲繞した回字形の平城であったとされるが、現在は耕地化で遺構は完全に湮滅している。地元の方から伺った話では、数十年前まで主郭北にある民家の裏に土塁が残っており、きつね山と呼ばれていたと言う。この民家の屋号も「きつね山」で、きつね山の脇には堀跡もあったらしい。ブルドーザーで掘ったらどんどん掘れたとのことで、かなり深い堀であった可能性がある。
 尚、城の中心付近から南西に150m程の所に、大きな楠がこんもり茂った場所があり、そこに城主豊田氏の墓石群があることも教えていただいた。大小20基程の五輪塔群が整然と並んでいるが、東日本大震災でだいぶ崩れたのを、心棒を入れて直したとのことである。
 話を伺ったのは中年の方々だったが、地元では城の歴史が若い世代にもしっかりと伝えられており、なかなか素晴らしいことである。
城主豊田氏の墓石群→DSCN8332.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.402995/140.011214/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国大名宇都宮氏と家中 (岩田選書「地域の中世」 14)

戦国大名宇都宮氏と家中 (岩田選書「地域の中世」 14)

  • 作者: 江田 郁夫
  • 出版社/メーカー: 岩田書院
  • 発売日: 2020/10/04
  • メディア: 単行本


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厚木城(栃木県真岡市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8327.JPG←城址付近の現況
 厚木城は、結城氏の家臣厚木美濃守朝高が城主であったと伝えられる。朝高は元々、宇都宮氏の重臣芳賀氏の一族で、芳賀高義の3男であった。主君芳賀高経が、主家宇都宮興綱に叛乱を起こそうとした際にこれを諌めたが、高経は壬生綱房らと共に宇都宮成綱の2男尚綱を宇都宮氏の当主に擁立し、興綱を自害に追い込んだ。そこで朝高は、厚木城から相模国厚木に出奔し、小田原北条氏に仕えたが、後に結城晴朝に従って厚木城に復帰したと言う。しかし天正年間(1573~92年)に下館城主水谷左京大夫勝俊に攻撃され落城、そのまま廃城になった。おそらく旧主宇都宮氏からの調略を受けたことによるのだろう。

 厚木城は、五行川東岸の平地に築かれていたが、現在は宅地化・耕地化で遺構は完全に湮滅している。従って城の位置も明確にはわからない。昭和20年代の航空写真を見ても、既に明確な痕跡は見出だせない。とりあえず、『栃木県の中世城館跡』の地図でマーキングされている付近を城跡推定地としておく。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.401510/139.987653/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世宇都宮氏 (戎光祥中世史論集9)

中世宇都宮氏 (戎光祥中世史論集9)

  • 作者: 江田郁夫
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2020/01/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世平城
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平石館(栃木県真岡市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8322.JPG←館跡推定地の現況
 平石館は、天文年間(1532~55年)に宇都宮城主宇都宮尚綱に仕えた平石左兵衛助重が、軍功により鹿郷を拝領して館を築いたと伝えられる。平石氏は滅亡後、帰農したと言う。
 平石館は、北鹿集落の付近にあった様である。昭和27年頃の耕地整理で遺構は完全に湮滅している。城歩きの大家余湖さんの推測では、昭和20年代前半の航空写真に見える、小河川脇の方形区画を館跡と推測している。『栃木県の中世城館跡』によれば、平石氏子孫の墓地に五輪塔があるとされ、確かに館跡推定地の北方約300mの墓地には平石家の墓があり、そこに古い五輪塔がある。『栃木県の中世城館跡』で言っている五輪塔がこれのことかどうかは定かではないが、城主のものであった可能性もあるだろう。
平石家の五輪塔と館跡方面→DSCN8325.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.395258/139.998865/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


栃木県の歴史散歩

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  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/04/01
  • メディア: 単行本


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大曾城(栃木県真岡市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8310.JPG←城跡付近にある八幡宮
 大曾城は、長沼城主長沼淡路守宗政の2男左衛門尉政能が、大曾郷に分封されて大曾氏を名乗り、この城を築城したと伝えられる。以後、大曾氏の居城となったが、文明年間(1469~87年)に長沼氏が没落すると、大曾城も廃城になった。

 大曾城は、鬼怒川東岸の上大曽地区にあったらしい。現在は宅地・水田と化し遺構は完全に湮滅している。おまけに周辺一帯は耕地整理で大幅に改変され、昭和20~30年代には周囲を流れていた小河川も流路が全く変えられてしまっている。そのため、城の正確な場所もよくわからない。八幡宮付近が堀ノ内という地名だったらしいので、一応、八幡宮付近に城があったと推測しておきたい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:【八幡宮】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.388521/139.944717/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


下野長沼氏 (中世武士選書)

下野長沼氏 (中世武士選書)

  • 作者: 郁夫, 江田
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2012/06/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世平城
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入沢城(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN8145.JPG←堀切跡
 入沢城は、渋川城とも言い、この地の豪族入沢氏の居城である。元々は鎌倉時代に足利氏の一族渋川氏の祖、足利義顕が渋川保を領して城を築いたことに始まるとされる。渋川氏は、1335年の中先代の乱の時、渋川義季が女影原の戦いで岩松経家と共に討死している。義季の妹は足利直義の正室で、義季の娘幸子は2代将軍足利義詮の正室となるなど、足利将軍家と近い間柄で、義季の孫義行以降は九州探題に補任され、西国に活動の拠点を移した。時代は降って戦国中期の1544年3月、信州佐久の豪族入沢治部少輔時吉がこの地に移住して渋川故城の主郭跡に屋敷を築いた。1557年、入沢氏は吾妻大戸城主大戸氏から軍功により渋川西部を与えられ、元亀・天正年間(1570~92年)には上州西部を支配した武田氏に仕えた。武田氏滅亡後は上州の大半を制圧した小田原北条氏に仕えたが、1590年に北条氏が滅亡すると時吉の子吉広は館を廃し、帰農したと言う。

 入沢城は、榛名山の東麓、平沢川と黒沢川の合流点に突き出た舌状台地の東端に築かれている。元屋敷という地名の東の主郭と、五輪平という地名の西の二ノ郭から構成されている。主郭・二ノ郭共に大半が耕地となっているが、間には堀切跡が浅くなっているものの明確に残っている。主郭は先端部が一段低くなっており、2段の平場で構成されている。『日本城郭大系』では二ノ郭の西側には土塁が残るとしているが、現地標柱では積石猪鹿防ぎ跡とされる。城の土塁跡をそのまま猪鹿防ぎに転用したのかも知れない。いずれにしても、居館機能を主とした城であった様だ。
 尚、入沢城・引越山の砦鐙山の砦などで構成された入沢城砦群があり、入沢城はその中心であった。『日本城郭大系』群馬編を著した山崎一氏は「地域城」という概念を導入して、この城砦群も「入沢地域城」としているが、私はこの概念には懐疑的で、城砦群や支城群と何が異なるのかさっぱりわからない。そこでここでは「入沢城砦群」と記載した。
 また入沢氏の墓が、鐙山の砦の北東麓の墓地内に残っている。
主郭下段平場からの眺望→DSCN8139.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.499857/138.982834/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

  • 作者: 佐藤 進一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/01/01
  • メディア: 文庫


タグ:中世平山城
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引越山の砦(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN8117.JPG←丘上の平場と眺望
 引越山の砦は、入沢城を中心とする入沢城砦群の一つである。尚、『日本城郭大系』群馬編を著した山崎一氏は「地域城」という概念を導入して、この城砦群も「入沢地域城」としているが、私はこの概念には懐疑的で、城砦群や支城群と何が異なるのかさっぱりわからない。そこでここでは「入沢城砦群」と記載する。

 引越山の砦は、入沢城の入り口を押さえる砦で、比高5~6m程の東西に細長い小丘となっている。『日本城郭大系』では「最近土地改良で消滅」とあるが、昭和20年代前半の航空写真と見比べると、小丘は北と東が削られて形状が変わっているものの、概ねの形状は残しているようである。小丘の登り口である西側に城址石碑が立ち、丘上はただの平場が広がっているだけである。この平場からは、東に視野が開け、渋川市街地から遠く赤城山の西麓まで見渡すことができる絶好の物見場である。警戒のために構築された物見の砦だったのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.499908/138.987533/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

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  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2018/06/19
  • メディア: 単行本


タグ:中世平山城
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鐙山の砦(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN8070.JPG←土塁と空堀
 鐙山の砦は、入沢城を中心とする入沢城砦群の一つである。尚、『日本城郭大系』群馬編を著した山崎一氏は「地域城」という概念を導入して、この城砦群も「入沢地域城」としているが、私はこの概念には懐疑的で、城砦群や支城群と何が異なるのかさっぱりわからない。そこでここでは「入沢城砦群」と記載する。

 鐙山の砦は、黒沢川南岸の比高60m程の台地の辺縁部に築かれている。砦の名の通り、簡素な城砦で、西側の台地続きに幅広の空堀を穿ち、内側に低土塁を築いている。土塁の中央付近には櫓台があり、その部分で塁線が屈曲し、横矢を掛けている。東側には斜面に沿って3段程の曲輪があるが、曲輪間の段差は小さく、普請はわずかである。曲輪群の南側は自然の谷戸が入り込み台地との間を隔絶している。城域の東端は境界がはっきりせず、自然地形の尾根が続いている。縄張りは簡素であるが、城域は広く、まとまった数の軍団の駐屯地だった様である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.497821/138.984743/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2015/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世崖端城
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