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鴨城・元取山砦(富山県高岡市) [古城めぐり(富山)]

DSCN6875.JPG←広大な二ノ郭
 鴨城は、南北朝時代に室町幕府方の軍勢が一時駐屯していた城である。『二宮円阿軍忠状』によれば、足利一族の名門斯波高経の重臣であった二宮円阿は、1362年に2代将軍足利義詮と主君高経の命を受け、観応の擾乱以来室町幕府に敵対していた元越中守護桃井直常を討伐する為越中国に出陣した。和田合戦などを転戦した後、約5ヶ月間、和田城(増山城か?)を警固した。1363年3月、和田城において「鴨城衆」を命じられて鴨城に入り、5月12日に鴨城衆と共に頭高城(頭川城か?)を攻略し、焼き払ったと言う。

 鴨城は、標高155mのカモ山に築かれている。城は市の史跡に指定されており、散策路が完備されているので迷うこと無く登ることができる。登り口は複数あるが、私は東麓の七曲坂登り口から登城した。カモ山山頂付近には広大な平坦地が広がっており、城はこの平坦地をそのまま軍団の駐屯地としていたらしい。現地標識に従えばここは二ノ郭で、緩やかな傾斜地が広がっている。南西に向かって上り勾配となっており、南西端は高台となっている。頂部は小さな平場があり、ここが主郭とされる。主郭周辺には腰曲輪状の平場が付随している。南にも腰曲輪が数段あるようだが、草木が繁茂していて形状が把握できない。この城で出色なのは、二ノ郭の北と西に穿たれた横堀で、城内通路を兼ね、北西部で2つの堀が直交している。北の横堀は東に進むに従って腰曲輪に変化している。また二ノ郭の南東に張り出した尾根先端部には「にらみ山砦」と言う出丸があり、その名の通り眼下を監視する物見であったのだろう。この尾根の付け根には、両翼にわずかに堀切が穿たれている。

 元取山砦は、鴨城の背後に築かれた物見の砦で、標高195.7mの元取山に築かれている。位置関係からして鴨城と一体となって機能していたことは疑いがない。鴨城から繋がる尾根の鞍部を越えて西に進むと、4つの小堀切があり、その先に元取山山頂がある。鴨城本丸以上に小さな平場であるが、眺望に優れ、小矢部川から庄川の間に広がる平野部が一望できる。

 以上が鴨城・元取山砦の遺構で、大雑把な城の構造はいかにも南北朝期の城らしい。遺構から見る限り、戦国期にはあまり顧みられなかったようである。
二ノ郭西の横堀→DSCN6917.JPG
DSCN6934.JPG←元取山砦手前の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【鴨城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.728300/136.915998/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【元取山砦】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.726924/136.912651/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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