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広瀬城(富山県南砺市) [古城めぐり(富山)]

DSCN7297.JPG←主郭後部の櫓台
 広瀬城は、鎌倉時代にこの地の地頭藤原氏によって築かれた砦と伝えられ、加藤右衛門佐、上田作兵衛、山口新左衛門、清水将監が在城したと言われる。その後、天正年間(1573~92年)には、越中国を制圧した佐々成政が、加賀・能登を領した前田利家と争った際、前田氏と戦うための国境の基地として修築されたと思われる。

 広瀬城は、標高344mの峰に築かれている。幸い東中腹に車道が通っており、その脇から登道が付いている。登城路は、一部消滅しているもののほとんどは残存しているので、ほとんど迷わずに城に登ることができる。道を登っていくと若干の平場群を越えた先に最初に現れるのが東出郭で前面と背面に堀切を穿って独立性を高め、曲輪後部に物見台を置いている。その上には二ノ郭がある。前面に2段の腰曲輪を配した広い曲輪で、側方に竪堀数本を穿ち、後部に土塁・堀切を設けている。その上に主郭がある。主郭も前面に2段の腰曲輪を配している。腰曲輪から主郭への進入路は枡形虎口になっているらしいが、薮が酷くて形状がほとんどわからない。主郭後部には大きな櫓台が築かれている。櫓台の背後の尾根には二重堀切が穿たれているが、ここも薮が酷くてほとんど形状がわからない。ここから南にある350m峰にも西出郭群がある。西出郭群は頂部に物見の平場があり、東尾根は堀切で穿ち、西尾根に段状に曲輪群を連ねている。途中に竪堀や横堀があり、先端の尾根には二重堀切が穿たれて城域が終わっている。このほか、二ノ郭の北東にも曲輪群があり、竪堀や背後に堀切を穿った物見台が見られる。その下の腰曲輪には畝状竪堀があるのだが、ここも薮で全くわからなくなっている。ほかにも北東尾根を降った先にも出郭群があるらしいが、時間の都合でパスした。広瀬城は、遺構はよく残っているのだが、重要遺構が劇薮に埋もれてしまっており、残念な状況である。
二ノ郭背後の堀切→DSCN7270.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.545699/136.828333/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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