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名畑城(富山県小矢部市) [古城めぐり(富山)]

DSCN7172.JPG←横から見た大手虎口の土橋
 名畑城は、小屋ヶ谷塁とも言い、天正年間(1573~92年)に織田氏の部将佐々成政によって築かれた陣城と伝えられる。1582年の織田信長の横死後、羽柴秀吉が着々と後継者の地位を固めていく中で、越中を支配する反秀吉派の佐々成政は加賀・能登を領する前田利家と激しく対峙し、加越国境の街道沿いには多くの城砦群が両陣営によって築かれた。名畑城は、佐々方の田近越を押さえる一乗寺城と小原越を押さえる松根城を後方から支援する城として築かれたと考えられている。

 名畑城は、砂馳川東方の標高115.4mの南北に長い丘陵上に築かれている。明確な登道はないが、低丘陵なので北東の溜め池脇から斜面を直登して訪城した。ほぼ単郭の城で、三角点のある主郭の北には堀切が穿たれ、土橋が架かっている。この土橋は、北の平場の南西に築かれた土塁が、そのまま斜め土橋となって主郭の大手虎口に繋がっている。虎口には方形の土塁区画があり、枡形虎口の一種であったと考えられる。この虎口の西側は、一段低い腰曲輪となっている。また堀切は、東端でやや屈曲しており、西端では、北面に竪土塁を築き、その北側に馬蹄形の窪地状の曲輪を配置している。また主郭の南側には腰曲輪が1段築かれ、主郭南西部に腰曲輪に繋がる搦手虎口が開かれており、両側を土塁で防衛している。腰曲輪の南には堀切が穿たれ、ここにも西寄りに土橋が架かっている。このほか、主郭北の自然地形の平坦地の北西に、屈曲した横堀が穿たれ、その横に腰曲輪がある。名畑城は、地山をそのまま利用した全体的にざっくりした普請の城であるが、織豊系陣城らしく、北虎口の構造は技巧的に構築されている。
搦手の土橋と堀切→DSCN7207.JPG

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.620789/136.862043/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:陣城
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