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東方城(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC00264.JPG←御所屋敷の土塁と空堀
 東方城は、庁鼻和城の東北東約1.5kmの位置に築かれた平城である。福川支流の小河川沿いの段丘上に築かれている。築城の経緯や築城者は定かではないが、その位置から考えて、深谷城又は庁鼻和城の支城であったと見てほぼ間違いない。また東方城に程近い熊野大神社は、深谷上杉氏の三宿老で皿沼城主の岡谷加賀守清英や、同じく三宿老の秋元但馬守景朝・越中守長朝親子の崇敬を受けたと言われているので、もしかしたら岡谷氏か秋元氏の一族が城主であったのかも知れない。東方城がはっきりと歴史に残っているのは、小田原北条氏の滅亡後、徳川家康の関東入封に伴って、松平丹波守康長が1万石で東方城に入部した時である。その後、1601年に康長が関ヶ原の戦功で上野白井に移封となると、東方城は廃城となった。
 東方城のあった地域には、お庫屋敷・御所屋敷・城主別邸・お姫屋敷などの地名が残り、それらの位置に土塁などの遺構が散在している。土塁はいずれもしっかりとした高さがあり、特に本郭とされる御所屋敷の西側には、屏風折れを伴った見事な土塁と空堀が残っている。ただ全体に宅地化と耕地化が進んでおり、それ以外の遺構はかなり断片的にしか残っていない。そんな城ではあるが、しっかりと標柱と解説板が設置されていて、深谷市や地元住民の方たちの熱意には頭の下がる思いである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.196235/139.317434/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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