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二伝寺砦(神奈川県藤沢市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC03323.JPG←主郭西側の堀切
 二伝寺砦は、小田原北条氏が築いた玉縄城の支砦である。玉縄城の南南西にわずか700mの位置にあり、玉縄城南方防衛の要地であった。玉縄城は、伊勢宗瑞(北条早雲)が三浦道寸を新井城に追い詰めていた1512年の築城とされており、この頃は三浦氏と扇谷上杉氏との連携を阻み、陣の後方を防衛する為に玉縄城周辺の整備は急務であったと考えられるので、二伝寺砦も玉縄城築城後間もなく築造されたものと、日本城郭大系では推測している。その後も玉縄城の防衛拠点として重視されたと思われるが、1590年の北条氏滅亡と共に廃城になったと考えられる。
 二伝寺砦は、1505年に北条氏時が創建した二伝寺の背後の比高20m程の丘陵にある。墓地整備などで往時の地形がかなり崩されているようなので判断が難しいが、遺構らしきものは残っている様である。まず墓地の北側には物見台のような円丘があり。出丸と考えられる。この円丘と南側の主郭部と考えられる丘陵の間の鞍部は、堀切を兼ねた曲輪だった可能性がある。主郭と考えられる丘陵上部には、平良文、忠光、忠通三代の塚がある。削平は甘いが、周辺の地形から主郭と断定してよいだろう。この西側に腰曲輪と思われる平場があり、西に伸びる尾根上にはわずかに堀切が確認できる。また土塁らしき地形も確認できる。はっきりしない部分もあるが、部分的に遺構が確認できるだけ、他の玉縄城砦群よりマシであろう。尚、二伝寺の裏山に登る時には、お寺の人に一声掛ける必要がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.348176/139.509641/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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らんまる

お疲れ様です。

玉縄城の昭和30年代の航空写真を見ましたが、まさに要塞ですね。自然の地形を利用した築城のようですが、さすが北条早雲!と感心しました。

跡地の女子校には城の模型もあるようですね。神奈川地方における山城ファン垂涎の幻且つ侵入禁止の城なので(笑)、年に一度ぐらいは公開して欲しいものです。
by らんまる (2011-09-19 16:33) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
昭和30年代の航空写真でもはっきり判る擂鉢状の主郭ですが、
実はほとんどそのままの雰囲気で残っているんです!

女子高なので、全てを見てまわることは出来ませんが、
一部だけでもしっかりした土塁が残っているのが確認でき、
感激です。

諏訪壇への入場については、
ここではあえて詳細は書きませんが、
直接、清泉女学院に電話すれば、
道が開けると思います。
by アテンザ23Z (2011-09-19 22:29) 

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