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青ヶ台城(神奈川県横浜市金沢区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00072.JPG←台地南端の平場
 青ヶ台城は、執権北条氏の一族金沢氏の居城と言われている。金沢氏は、2代執権北条義時の孫越後守実時を祖とする名門で、有名な金沢文庫を創始したことでも知られる。鎌倉末期の当主金沢貞顕は14代執権北条高時の連署となり、高時が病気で執権を辞すると、短期間ではあるが執権となった。しかしこの時には、既に得宗独裁(得宗とは北条氏の嫡流家のこと)が強化され、執権とは名ばかりで、実質的には得宗家に仕える内管領長崎高資らによって幕政が主導されていた。また高時の後任にその弟泰家を推す生母覚海尼とその一族安達氏らの強い抵抗によって、10日あまりの短期間で執権を辞した。1333年5月、上野で挙兵した新田義貞は、疾風の様に鎌倉街道を南下し、小手指ヶ原・分倍河原で相継いで幕府軍を破り、鎌倉に迫った。化粧坂・巨福呂坂極楽寺坂と鎌倉防衛の要衝で激戦が展開され、引き潮を利用して稲村ヶ崎を突破した義貞は鎌倉を制圧した。金沢貞顕は、得宗高時ら多くの北条一門と共に東勝寺で自刃した。貞顕の嫡子貞将は、山内方面で7ヶ所の疵を被りつつ奮戦し、最期は大軍の中に突撃して壮絶な戦死を遂げた。

 青ヶ台城は、現在阿王ヶ台と呼ばれる南東に突き出した半島状の台地の上にあったと推測されている。台地上は一面の住宅地となり遺構は残っていないが、台地南端に畑となっている平場が見られ、腰曲輪だった可能性がある。この地は眺望に優れ、遥かに東京湾を望むことができる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.349191/139.611093/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世崖端城
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